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事前学習
・ポンペイの歴史
紀元前、サルノ川河口付近に先住民オスキ人の集落があった。
BC526年エトルリア人に占領される。
BC474年イタリア南部に居住していたギリシア人と同盟を組み、クマエの海戦で復活。
BC5世紀後半からサムニウム人の侵攻が始まる。
BC424年にはサムニウム人に征服され、サムニウム人はまた、カンパニア全体を支配した。
その後カンパニアの諸都市が同盟市戦争と呼ばれる戦争をローマに対して起こすと、ポンペイも反ローマ側に加わった。
BC89年、ローマのルキウス・コルネリウス・スッラによって町は征服されたが、ポンペイは、港に届いたローマへの荷物を近くのアッピア街道に運ぶための重要な拠点となり、以後、商業都市として栄えた。
AC62年2月5日、激しい地震がポンペイを襲った。
79年8月24日、ヴェスヴィオ火山が大噴火し、一昼夜に渡って火山灰が降り続け、翌25日に完全に地中に埋まった。
ポンペイの発掘遺跡にて
6月13日 今日は私たちの専用バスでポンペイまで254kmを3時間半かかって走りました。
7:34 ポメツィアのホテルの部屋から朝日に輝く町を望む。
(ローマから南へ約25km)
イタリアの朝食は簡単です。パンとミルク、コーヒー。
ボメツィアのホテルを9:00に出て3時間半走り、12:30にポンペイ着の予定です。
ローマ松の並木街道も走りました。
それからバスは一路ポンペイを目指し、A1太陽道路を走りました。
今日は走行距離が多く時間がかかりますので、バスの窓からウォッチングを頑張りました。
オリーブ畑のようです。
ナポリの手前で交通渋滞があり、しばらくのろのろ運転でした。
しばらくノロノロの原因がこれでした。交通事故です。バンパーが外れています。
ストレッチャーを出していたのはイタリアの救急車です。
私たちの白いバスはトイレ休憩するため、店に入りました。12:16
この休憩所の店は日本人客が多いようで、スタッフに日本人がいるのか、日本語が書かれています。
もしかしてベスビオス山か?と感じました。
料金所です。
これはローマの旧街道でしょう。ローマ松の並木があります。
ナポリです。
工場の向こうに1群の高いビルがありますが、日本建築界の大御所、丹下健三氏が設計したものだそうです。
しかし、ナポリの人々はあんな高い建物は危険だといって、事務所などのテナントがなかなか入らないとのことです。
家々の向こうに海が見えています。
やっとポンペイに到着しました。13:43
白ワインを食前酒に昼食が始まりました。
楽曲を聴きながらのここでの昼食はシーフードフリッターが出ました。
グラタンをほぐしたような食べ物でした。
デザートは大変に甘いシロップ漬けの菓子でした。
けっこうイタリアには植栽の中にフジがありました。
ポンペイの町角にあった果物屋です。柑橘類が多いようです。
午後はいよいよポンペイの遺跡に入場しました。