事前学習
・フィレンツェの語源は、古代ローマ時代、花の女神フローラの町としてフロレンティアと名付けたことが語源とされている。周辺国ではフローレンスと呼んだりする。
・観光業、繊維工業、金属加工業、製薬業、ガラス・窯業、ジュエリーや刺繍などの工芸が盛ん。
・ダンテ、ミケランジェロやレオナルド・ダ・ヴィンチの出身地。
事前学習のためフィレンツェの年表を作りました。
フィレンツェにて
6月11日 フィレンツェの朝です。
2連泊のフィレンツェのホテルを出発し、市内の歴史地区に向かいますが、私たちのバスは入都税のようなものを徴収するためのチェックポイントに入りました。

10:08 何カ所かの都市に入るにはチェックポイントがあり、大型観光バスは30万円ぐらい税金をとられるそうです。

近代的なデザインの立派なビルが建築中でした。

裏町に入ると至る所にこのようなポップアートが描かれていました。

バスを降り、一方通行の小径を歩く。進入禁止は日本と同じ標識でした。

ショッピングに案内されたのは鞄や小物の革製品の店でした。

通りに面した外のショーウィンドウはあちこちにあり、
ここでもこんなディスプレイがありました。

私たち20名あまりがいる店内のようす。店長は日本人の女性のようでした。
私も土産用に小物を何種類かまとめて買いました。

こんなかわいいオート三輪をあちこちで見かけました。

フィレンツェにおけるゴシック建築の最高傑作とされるサンタ・クローチェ教会です。

ダンテ像が階段を見下ろしています。
ダンテは1265年にここフィレンツェで生まれました。
政治的に反対派からフィレンツェを追放され、ラヴェンナで「神曲」を書き、そこで客死しました。
この教会には彼が入るべき空の棺があるそうですが、ラヴェンナが遺骨を返さないままになっているのだそうです。

11:54 サンドロ・ボティチェッリの「ヴィーナス誕生」やレオナルド・ダビンチの「受胎告知」などが
あるウフィツィ美術館です。
地元ガイドが1時間ほどで見るべき絵をスムーズに案内してくれました。

ウフィツィ美術館の中庭です。
ウフィツィ美術館の中は撮影禁止で、この渡り廊下からのみ許可されていました。
隣のヴェッキオ宮殿の塔が見え、少し遠くにドゥオモが見えました。

反対の窓からは屋根があり商店街になっているベッキオ橋が見えました。
男には鬼門だそうです。(貴金属や宝石屋さんが軒を連ねているから!)

見れば見るほどおかしな橋です。

ベッキオ橋と陸上の建築物とが一体化しています。

ウフィツィ美術館を出て隣のヴェッキオ宮殿前に来ました。この広場はシニョーリア広場と呼ばれています。
ベッキオ宮殿はメディチ家の宮殿でしたが、1865年からは新生イタリア王国の国会議事堂になり、
現在は市役所になっているそうです。

ランツィの開廊といわれています。
共和制の1376年から1382年にかけて公共の会議や式典の場所として建てられ、
共和制崩壊後にはドイツ傭兵の集合場所としたので、ランツィという蔑称がつけられました。
芸術的用途に変えたのはコジモ1世で、開廊は彫刻家など芸術家のための場所となったそうです。

B.アンマンナーティ作、「ネプチューン」(白い巨人)の噴水です。
白い巨人が海の馬車に乗っています。

コジモ1世の騎馬像もありました。

シニョーリア広場のミケランジェロ作のダビデ像。
本物はアカデミア美術館にあり、これはレプリカ。
ミケランジェロ広場にも大きいレプリカがありました。

13:30 フィレンツェのドゥオモ(大聖堂)の見学です。
正式名はサンタ・マリア・デル・フィオーレ(花の聖母)大聖堂。
ローマのサン・ピエトロ大聖堂、ロンドンのセント・ポール大聖堂に次ぐ世界で3番目の大きさだそうです。

ドゥオモの内部。階段を歩けば上に上れるそうです。

ドゥオモは1296年から140年かかって、最後はミケランジェロの手により完成しました。

これは何だったかな。エレベーターでしょうか。

美しいステンドグラスがありました。

このあたりが観光の中心地か、救急車やパトロールカーが待機している。
ドゥオーモに上る階段で倒れる人が多いそうです。

丸いドームの上に白い部分があって、そこに人が出て周囲の景色を見ていました。
これを見て午後の自由行動の最後に行こうと思っていました。

14:01 昼食は近くの中華料理屋さんで中華のコースをいただきました。
久しぶりに東洋の懐かしい味でした。

昼食のあとはオプションのピサの斜塔組と自由行動組に分かれ、
自由行動組はばらばらに思い思いの行動をします。
私は自由行動組で、フィレンツェ市内を見渡すミケランジェロ広場まで歩くことにしました。