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第4日目午後

 10月20日 (バレンシア) 〜バス〜 グラナダへ 午後 グラナダ観光 (【世界遺産】アルハンブラ宮殿、ヘネラリーフェ庭園など) (グラナダ泊)  


フェネラリ−フェからアルハンブラ宮殿、グラナダを望む



13:02 再びバスで移動です。大概は石灰岩ですがここはちょっと違って、蛇紋岩のような感じです。


風車地帯を通りました。スペイン製でしょうか間近に見えました。


おもしろい大きな標識です。追突予防を心がけよう!かな。


洞窟住居跡かな、それとも単に倉庫か物置か。


谷の集落では黄葉が始まっていました。
アルハンブラが建つ丘はシエラネバダ山脈の支脈で、海抜700mを越えているそうです。
この谷も谷とはいえ、相当高いところです。


もうすぐアルハンブラというところでバスが落ちていました。
こんなところでどうしてでしょう。気をつけましょうね。


15:34 駐車場からアルハンブラ宮殿への入口です。


予約時刻より早く着いたのか、現地ガイドはイトスギの散歩道を通り、
アルハンブラ宮殿の庭園である、ヘネラリーフェ庭園から私たちを案内しました。


雨の野外劇場です。


「下の庭園」というらしい。
ヘネラリーフェという名は建築家の庭園という意味だそうです。


藤棚かバラの棚かわかりません。もしかしたらスペイン名産のブドウの棚だったのかもしれません。
現地ガイドは、迷路のようなこの美しい庭園を、一つ一つの花を確かめることができないような
早いスピードで歩き、少しでも立ち止まると置いて行かれそうです。
目に焼き付ける時間がないので、とにかくカメラのシャッターを押して歩きました。


庭園から見た宮殿の数々と、市街地です。
アルハンブラは最初からさまざまな建物で構成される複合体として計画されたものではなく、
9世紀末にはすでに存在していたアルカサーバ(砦?)から、次第に成長し発展してきたものだそうです。


アセキアの中庭です。1958年の火災後、本来の様式に再建されたのだそうです。
庭園部分の中心になります。


16:05 庭園から城内に入ります。


山から城内に水を引き入れる水路が、アーチ門のように
なっています。


水路の城内側だったと思います。


昔はここに小さな街が建設されていました。土台だけが残っています。


カルロス5世宮殿は、いくつか残されている宮殿の中でも新しく、1526年に計画が決定されてとりかかったのですが、
初代の施行者は1550年に亡くなり、息子やその他の人に受け継がれていきます。
カルロス5世はイスラム時代の旧宮殿の価値を認め、破壊することなく、それらの横に建てています。


外壁に並んだ金属のリングは、馬をつなぐためのものだそうです。


カルロス5世はここを主に礼拝堂として建てました。
廟としてお墓もここにあります。


正方形に近い建物に、直径30mの広い円形の中庭があります。
この宮殿は当時には完成することなく、1960年まで周囲の屋根も無かったそうです。
現在はアルハンブラ博物館が置かれ、コンサートの会場などにも利用されるそうです。


カルロス5世宮殿の近くにあった「葡萄酒の門」です。
要塞部分と宮殿部分との境目らしいです。


庭園から見た宮殿ですが、この一番右側の四角い塔の左右周辺が旧宮殿で、
中程にある尖塔が新宮殿の礼拝堂です。


旧宮殿には3つの宮殿があります。
それそれメスアール宮、コマレス宮、ライオン宮と呼ばれています。
メスアール宮はキリスト教のために様々に手が加えられているのだそうです。


「メスアールの間」に入ってすぐ驚かされるのは木組みの天井です。


壁の上部にはミヒラブと呼ばれる彫刻がなされています。


壁の下部は、一般的に人が行き交うので彫刻が破損したりよごれたりするため、
緻密な模様のタイル壁になっています。この部分は元はイスラム教の礼拝室だったそうです。


カルロスによって作られたキリスト教の礼拝室の窓です、


4本の柱で囲まれた「閣議の間」の天井です。


漆喰壁に美しく掘られたレリーフ。マホメットを称える言葉などが
イスラムの文字で縁取りに書かれているのだそうです。


「ヘラクレスの柱」と呼ばれるタイル壁が部屋の下部と上部に分かれてありました、
これは、元は部屋の上部に左右対称にあったものが、16世紀になって入口を
新しく作るために移動させられたものであるとのことでした。
「ヘラクレスの柱」はジブラルタル海峡の南北両岸の岬の岩山をさす古代からの
呼び名で、柱は2本がセットのはずです。


「メスアールの中庭」です。小さな中庭の中心には
噴水が上がっていたであろう水盤があります。


コマレス宮の「アラヤネスの中庭」と呼ばれる場所です。
建築では水鏡の技法といって300年後のタージマハールでも使われました。


反対側からも見ました。ユースフT世時代には外に開かれた広場だったものが、その息子
ムハンマド5世により柱廊が建築され閉ざされてしまいました。
さらにその後にできたカルロス5世の廟により、まったく開放感が無くなりました。


「ライオンの中庭」と呼ばれる場所です。
この周囲には「謁王の間」、「アベンセラッヘルの間」、ハーレム、「二姉妹の間」、浴場などがあります。


「アベンセラッヘルの間」の天井です。一段高くなったところには窓があり、光が射し込み、
暑い夏には昇っていった空気が逃げるようになっています。


床には大きい水盤があり、地下を通ってきた冷たい水が空気を冷やすという工夫があります。


「謁王の間」の天井です。ここも天井の下に窓があります。


「鍾乳石の間」の天井です。
イスラムの言い伝えでは、予言者ムハンマドは敵から逃れて入り込んだヒラーの洞窟のなかで、
大天使ガブリエルから直接コーランのインスピレーションを授かったといい、この伝説により、
イスラム社会において鍾乳石は宗教的な装飾要素となっているそうです。


リンダラハのバルコニーの最上部には色ガラスが繊細な木組みの中にはめ込まれて、
さしずめキリスト教会のステンドグラスのようです。


2階から見たリンダラハの中庭です。
1526年に皇帝カルロス5世の訪問に合わせて作られたものだそうです。


2階の窓から見えた浴室の屋根です。
赤ガラスの採光窓があり、開閉して浴室の温度調整にも使われたそうです。
見学は出来ませんでしたが、中は涼の間、暖の間、暑の間などに分かれていたそうです。


ムハンマド3世時代(14世紀初頭)の建造物である
「貴婦人の塔」からはアルバイシンの家並みを見渡すことができました。


「鉄格子の中庭」と呼ばれている中庭です。
あっという間に通り過ぎたので、後で調べると、この2階部分に鉄格子がはまっているそうです。


庭園に出ると、元モスクのあった場所にキリスト教徒によって建てられた
サンタ・マリア・アルハンブラ教会の鐘楼が、イトスギに並んでそびえていました。


17:30 見学は終わり、イトスギの並木を駐車場に向かいました。


2連泊のグラナダのホテルに戻ります。


午後8時半ごろからホテルの夕食です。


香料を使わない日本的な味で、おいしく食べられました。今日もビールを飲んで、疲れを癒やしご機嫌でした。
しかし、この後、部屋に戻り大変な事態が判明しました。


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