ヴ ェ ネ ツ ィ ア の 歴 史


 452 伝説では、アクイレイア、パドヴァなどの北イタリアの都市の住民が、5世紀のゲルマン人のイタリア侵略からのこの湿地帯へと避難してくる
この時避難してきた先が現在の「トルッチェロ島」である




 697 初代総督を選出して独自の共和制統治を始めた。これがヴェネツィア共和国の始まりである。


政府内部の不和のため不安定な政治がつづいた


9世紀始め、フランク王国がヴェネツィアを支配下に置こうとして軍を派遣、そのため、トルチェッロにいた人々は更なる避難を余儀なくされ、現在のヴェネツィア本島へと移り住むことになった
 810 東ローマ帝国‐フランク王国間で結ばれた条約で、ヴェネツィアは東ローマ帝国に属するが、フランク王国との交易権ももつこととなり貿易都市への布石が置かれた。
 828 福音書著者聖マルコの遺骸がエジプトのアレクサンドリアにあり、ムスリムに奪われる恐れがあることを聞きつけ、それを奪い取りヴェネツィアに運んだ。この時よりヴェネツィアは聖マルコを守護聖人とすることになった。
 836 イスラムの侵略を撃退した。
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 900 マジャールの侵略を撃退した。
10世紀後半からは戦うよりも貿易をしようというヴェネツィア人の現実的な政策によりイスラム諸国と商業条約を結んだ
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弱体化した東ローマ帝国の要請でアドリア海沿岸の海上防衛を担うことになり、その代償として東ローマ帝国内での貿易特権を得た。
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1204 第4回十字軍とともにヴェネツィア艦隊は東ローマ帝国首都のコンスタンティノポリスを攻略、援助への代償としてクレタ島などの海外領土を得て東地中海最強の海軍国家となり、アドリア海沿岸の港市の多くがヴェネツィアの影響下におかれた。
ヴェネツィア共和国は東ローマ帝国分割で莫大な利益を獲得し、政治的にも地中海地域でヨーロッパ最大の勢力をほこるようになり、マルコ・ポーロが黒海北岸から中央アジアを経て元へ向かうことを容易にさせた。
富裕な貴族たちは政治の支配権の獲得をくわだて、13世紀末ごろには寡頭政治がおこなわれるようになった。
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侵略戦争で周辺地域に領土を獲得したヴェネツィアは、15世紀後半にはキリスト教世界でも屈指の海軍力をもつ都市国家となった。しかし、オスマン帝国の進出により、ヴェネツィアの海外領土が少しずつ奪われていき、最盛期は終わりを告げた。
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1508 ヴェネツィアに対抗して神聖ローマ帝国、教皇、フランス、スペインは同盟をむすび、ヴェネツィア領土内にある財産を没収した。
1538 プレヴェザの海戦で、オスマン帝国は地中海の制海権をほぼおさえた。
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1797 ナポレオン・ボナパルトが侵略し、ついにヴェネティアは崩壊し、その領土をオーストリアに引き渡した。その後イタリアとオーストリアの間を転々とし、最後に1866年にイタリア王国に割譲された。

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