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三笠公園


2003年9月20日 横須賀を訪れました。

 私の祖父は帝国海軍軍人として中佐までつとめた人で、80才を過ぎても日本海海戦の作戦の自慢話をしていたことを思い出します。そこで、記念艦「三笠」訪問を思いつきました。 


 たぶん、昭和40年代に一度来ているはずなのです。
 でも、その頃には普通の観光気分で三笠を単に機械
としか見てなかったような気がします。
 その当時、こんなアーチは無かったと思います。


 米軍基地入り口からこの公園までの通りは広い
歩道が公園化され、楽しく歩けました。
 公園に入ると緑の向こうにその勇姿が見えました。


 公園の真ん中には、かの東郷平八郎の銅像が建っています。
 この写真のずーっと右手の方に記念艦「三笠」の入艦券を売る売店がありました。


 まず、一番近い三笠のおしり。
 高官の部屋は一番後ろにあります。


 これが黄海海戦、日本海海戦を勝ち抜いた日本帝国海軍旗艦「三笠」の全景です。
(明治33年11月イギリスにおいて建造完成、明治37年からの日露戦争での旅順口、黄海、
日本海海戦で活躍、明治38年佐世保軍港にて火薬庫爆発沈没するも1年後に引き揚げ、
皇太子殿下お召し艦などを経、大正11年ワシントン条約の海軍軍備制限により解体を決定
され、大正14年国民的記念艦として保存が決定された。)


 船の横腹にはたくさんの砲門が並んでいて
平行航行しながら敵艦を撃ちます。
 日露戦争では艦隊のこの砲の数が勝敗を決めたようです。


 大きい主砲の上方には操舵室やデッキが見えます。


 このタラップを上がって受付をし、見学コースに入りました。


 火花で電波を発し、モールス符号
を送信する無線室です。
こんなもので通信しあったのですねえ。
(36式無線電信機=マルコニー式)


 甲板上の通気口の根元には被弾し
た大きな穴が生々しくそのまま残され
ていました。
 このあと船内に入り展示を見始めま
した。その時、本物の船のように揺れ
るのを感じ、どんな仕掛けかなと思っ
たのでしたが、それは震度3か4の
地震だったのでした。


 船腹の砲門の脇には仮眠用のハンモックがつるされています。
また、砲の操作部分はピカピカに磨かれています。


 東郷元帥が着用していたという
軍服も展示されていました。


 士官たちのミーティングルームでしょうか。
 明治の海軍はいち早く西洋風な調度品などを揃え
ていますね。当然か、イギリスで建造だもんね。
ああ、でも一度は沈没しているから、これは建造
当初のものではないかもしれないね。


 バスルームです。今のホテルと
同じ形式ですね。


 東郷元帥の使っていた机ということです。
 ビニールシートがかかっていたので、残念ながら
触ることはできませんでした。


 広い艦内には部屋ごとにさまざまな展示物があり、ここの
図録を作るとしたら一冊ではきかないのではないかなあ。


 一室には東郷元帥の遺髪を祀ってありました。
 中央の箱の中にフィルムケースぐらいの透明な容器があり、その中に遺髪が見えるように
なっていました。


 さらに、船の安全を祈る神棚もあり、下には賽銭箱
もありますが、賽銭箱は昔からあったのでしょうか?
 左の斜線部分は被弾した跡を修理したということら
しいです。


 ちょうどこの日は台風がやってきているので、
見学が終わり外に出ると猛烈な風と雨が降り出しました。
 旭日旗が思いっ切り横になびいて見送ってくれました。


 米軍基地の門前にある店に飛び込みました。


 そこは「よこすか海軍カレー」を食べさせる店でした。
 今のカレーとそうちがわない、おいしいカレーでした。
 海軍さんはハイカラだったんだねえ。


 食後は「海軍コーヒー」というわけです。
 皿の錨の印を見せるためカップを横に置きました。


 店内には「カレーの町よこすか」のポスターが。

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