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山内豊信(容堂)墓


土佐山内氏略系図

品川区指定史跡

 やま うち とよ しげ (よう どう) はか
 山内豊信(容堂)墓

   所在 東大井4丁目8番
   指定 昭和53年11月22日(第11号)

 山内豊信は容堂と号した。文政10年(1827)に分家の山内豊著(とよあきら)の長子として生まれ、嘉永元年(1848)に宗家を継いで第15代の土佐国高知藩主となり、人材を登用して藩政の刷新に努めた。一方、国策についてもいろいろと論議し、策を建てて多難な幕末期の幕政に大きな影響を与えた。
 進歩的で強力な言動は幕閣に恐れを抱かれ、一時、大井村の下屋敷に蟄居させられたが、文久2年(1862)に再び政治の場に復し、大政奉還をはじめ幕府と朝廷の間の斡旋に力を尽くした。明治元年(1868)に維新後の新政府の内国事務総長となったが、翌年引退し、明治5年に45歳の若さで亡くなった。遺言によって大井村の下総山(土佐山)と呼ばれていた現地に葬られた。

  平成11年3月31日

品川区教育委員会    


2005年7月31日 おんちゃんの仲間が東京やら名古屋やらあちこちしゆうが、羽田空港近辺でこんなところがあると教えてくれた。その写真を見たら山内家墓所を紹介したおんちゃんとしては、どうしても行って取材しとうてたまらんなったき、ちょっくら行ってきたぞね。


 JALの一番機で高知龍馬空港から飛び、羽田空港から京急に
乗り、鮫洲駅でおりました。
 駅では1階におりないで2階の西出口から出ると、国道15号線
(第一京浜)を渡る歩道橋に出る事ができました。


歩道橋を渡ると森へ続く道があり、数十m進むと左からの道
との小さな交差点に来ました。
そこにはちいさなステンレス製で「山内豊信(容堂)墓と書か
れた標識があり目的地近しとほっとしました。
上の道は立会川小学校と大井公園への道です。


左の道を見ると数十m先には門があり、少し開いていました。
門が開いているのを見て、これで墓所に入れると更に安心し
ました。門には、開いてないときには立会川小学校の教頭に
連絡せよと書かれていました。
更に別の札には公開時間午前9時〜午後5時(12月29日
〜1月3日は見学できません)と書かれていました。


門を入るとすぐ右方に上がる石段があり、上がりきると
小学校の校庭が金網越しに見えました。夏休みなので校庭
には子ども達や先生方の姿は見えませんでした。


 振り返るとそこが墓地の入り口で、すぐに全体が見渡せました。
 品川区の史跡指定を受けて、ありがたいことですが、大政奉還
の建白を果たした大名の墓所とは思えないような、狭苦しい場所
でした。明治維新の表舞台に立った重要人物を都や国はどうして
もっと力を入れて顕彰しないのでしょうか。


土まんじゅう型の山内豊信(容堂)の墓です。
墓碑表「贈従一位山内豊信公之墓」
裏「明治五年六月二十一日薨」


入り口に一番近い場所には第13代藩主山内豊熈の妻の墓が
ありました。
墓碑表「嶋津常候之墓」
裏「従四位下山内豊熈朝目室 明治十三年十一月十六日逝」


手水鉢や灯籠の傘などが点々と散らばっていました。


立派な手水鉢です。明治九年の日付が入っていました。


あがって来た石段を上から見ています。


擁壁のコンクリートの鉄筋が一部むき出して腐食が進んでいました。
こんなことでいいのでしょうか。

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