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錦帯橋とその周辺


2007年1月20日(土)某会の慰安旅行で、再び山口県を訪れました。
朝7:00に集合、貸し切りバスで高知を出発し、瀬戸大橋を渡り本州へ。


 昼食を食べるべく、バスは錦帯橋間近の某ホテルの駐車場へ。
 下車して先ずは錦帯橋を渡ります。
 自分が高等学校の修学旅行で来ているはずですが、記憶
にございません。


初めて来たような気がします。この美しい橋をどうやって滑り落ちないで渡るのでしょうか?

 清流錦川には昔から何度も橋が架けられては増水時に流されていました。
 三代藩主吉川広嘉公が治療を受けていた明の帰化僧「独立」(どくりゅう)の所有する「西湖遊覧誌」を見る機会を得ました。それには点在する小島伝いに石橋がかかる挿絵がありました。これをヒントに小島のような橋台を錦川に作り、その上に頑丈なアーチ型の橋を架けることを思いついたのでした。
 試行錯誤を続けた後、延宝元年(1673)築城技術と組み木の技法を最大限に生かした希代の名橋が完成したのでした。
 (「名橋錦帯橋物語」パンフレットより)


錦帯橋はこのように有料橋でした。

昭和25年の台風では、それまでに川砂利が大量に採取され
ていたことも重なり、激しい暴風雨で276年の歴史を持つ錦帯
橋が流されてしまいました。市議会ではただちに再建声明を発
表し、市民の努力により2年の歳月をかけて再建がなりました。
さらに平成13年から2年の工期で26億円をかけて50年ぶり
に木材の腐朽を修復するため架け替えが行われたのです。
観光で訪れる人が少しずつでも寄付していけば保守が続けら
れますね。

錦帯橋の入場券です。


このように階段になっていて、滑り落ちることはないんですね。


 台座の石組みにははがれおちないように、くさびのようなもの
が二つの石を緊結しています。一部だけなので、これは洪水で
何かがぶつかり割れてしまった石を復元したところなのでしょうか。


橋を渡り、まだ時間があるので向こう岸を歩いてみました。
このあたりの名物、「石こけし」だそうです。


思いがけなく、佐々木小次郎に出会いました。岩国の出身でここ錦帯橋付近でヤナギの枝が
燕を打つのを観察し、「燕返し」の剣法「巖流」を編み出したと伝えられているそうです。


さらに歩くと「吉川資料館」がありました。


 吉川は「きっかわ」と読み、岩国の領主であった吉川氏の
所有していた道具や資料が展示されています。

<吉川家の由来>
 吉川氏は、藤原氏の分かれで、寿永二年(1183)ごろ、駿河の
入江庄(現在の静岡県清水市)にいた入江景義の嫡男経義が
駿河の吉川邑に移住して、「吉川」と称したのに始まる。
 二代友兼が正治二年(1200)梶原を討って、播磨の福井庄(現
在の兵庫県姫路市)の地頭となり、四代経光が承久の乱(1221)
に功を立て、安芸の大朝に移住。更に、関ヶ原の合戦後、慶長
五年(1600)11月に十七代広家が岩国に入封以来、明治廃藩ま
で代々岩国の藩主であった。
 
吉川資料館のパンフレットと入場券(500円)です。


季節を先取りし、この日は「おひなさま」が展示されていました。


庭はシンプルな感じです。
武者長屋も残存し、生活用品の展示に利用されていました。


川面に映る城山を見ながら戻りました。


 歩いてお腹を減らしたので、昼食がおいしくいただけました。
押し寿司がメインです。レンコンとタイモの汁もおいしかったですよ。


もう一度錦帯橋を撮影して、・・・


岩国城にお別れです。

次はカルストで有名な秋吉台、秋芳洞です。

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