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和歌山城


2010年5月6日(月) 振替休日 晴れ


この日、どういうわけか城周辺の駐車場は満車ばかり。ぐるぐる回ってあきらめかけたころ、偶然
にも学校脇の有料駐車場に入れることができました。ちょうどお城が見える場所でした。


なかなか立派なお城です。


お城の前の通りに出ると賑やかでした。なんとバトンのパレードが行われていました。岩出チームとか、


貴志川チームとか、それぞれがブラスバンドを従えていました。
沿道には観客がずらっと並んでいました。そうか、この人たちが車を置いているから駐車場が満杯
だったのかと気がつきました。


バトンを見ながら門前まで来ました。


ここでもお堀をめぐる船が出ているようです。


今日はとても暖かい日です。かき氷に行列ができていました。


和歌山城は別名「虎伏山竹垣城」と呼ばれていたそうです。城の建てられた山が海上から見ると
虎が伏せている姿に似ているからだそうです。この像は昭和三十四年に建てられたもので、二代
目になり、初代は戦時中の昭和十七年に供出されたということです。


駐車場探して時間が少なくなっています。とにかく本丸めざして歩きます。


角は丸く加工していますが、石積みが緩んで見えます。


石積みが曲がって見えます。これはデザインなのか、それとも適当な石がなかったのでしょうか。


ここから上がっていきます。さすがに御三家、登城口の幅が広い。


青石を敷き詰めた階段です。


少し上がると回り込む通路がこれも広い。


本丸御殿の庭にあったものが、こんな通路の脇に移動されたのは上水道設備が本丸御殿跡に
設置され、追い出されてしまったのでした。


一番右の石が船のへさきです。


マンネングサが石垣の隙間を陣取っています。


本丸があった所ですが、階段の上には水道局の門があり入ることはできません。


元和五年(1619)に徳川頼宣が入国すると、「天守郭」と呼ぶようになります。天守閣は大天守から
時計回りに多門、天守二之御門、二之御門櫓、多門、乾櫓、多門、御台所、小天守へと続く連立式
天守です。三階建ての大天守は不定型な地盤に制約され、一階の東側と西側が二棟を結合した珍
しい比翼入母屋造となっています。


寛政十年(1798)に黒板張から白壁となりますが、弘化三年(1846)の落雷で焼失しました。天守再建
は許可されませんでしたが、御三家ということで認められ嘉永三年(1850)にほぼ元のまま再建され
ました。ただし、楠門へ入る階段の位置が異なるなど、一部違いがありました。天守閣は昭和1十年
(1935)に国宝に指定されますが、昭和二十年には和歌山大空襲で焼失しました。しかし、昭和三十
三年、市民の努力で復元されたのです。(本丸掲示板より)


今日の訪問を矢印で表しました。往復とも同じ経路でした。(図は本丸掲示板)


帰り道の下には大きい鳥のケージがありました。動物園だったのですね。


下を見ていて、ふと頭の上を見上げると、サギか何かの大きい鳥の巣がありました。


下におりてくるとまだパレードは続いていました。エンジェルというチームがやってきました。


このチームはアクロバチックなチームでした。前方回転です。

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