よいよい写真館番外編>上野東照宮

上野東照宮


2006年12月11日(月)

 今回の旅行もいよいよ最後の立ち寄り先になりました。
 今日はJR鶯谷駅でおりて寛永寺や谷中を歩き、足が棒になりかけています。


 美術館脇を紅葉を見ながら歩いてきました。休園日の動物園入り口を過ぎ、角を回って
見上げると、太めの鳥居が幟旗とともに目に入りました。ここが上野東照宮の入り口です。


イチョウの落ち葉に誘われ、これから東照宮の境内に入ります。


石灯籠の列に迎えられて参道を進みます。紅葉もちらほら見えますし、今は枯れ木ですが、
春になるとみごとに咲くと思われる桜の並木もあります。


五重塔も見えましたが、これは隣の上野動物園の敷地に
あるようで、近づいて見ることはできませんでした。


やがて石灯籠の列はとぎれ、能舞台がありました。
いつの建物かわかりませんが、古いもののようです。
ここでの催しはあるのでしょうか。


御水舎です。太い柱ですね。また、手水鉢も広い。
でも、水はありませんでした。
この御水舎は明治6年に新門辰五郎が寄進したといいます。


通常、寺には鐘楼があり、その中には下が開いた鐘が吊り下げ
られているのですが、ここは屋根の下に大きな鈴が吊り下げられ
ていました。


慶安4年(1651)に諸国の大名から寄進された銅灯籠がたくさん並んでいます。

 
立派な台に乗って高い所から見下ろしている狛犬さんです。
この狛犬も靖国神社の狛犬と同じく、身体が大きくて、頭がいやに小さいですね。


唐門を通して正面から見る権現造りの社殿です。東照宮略記によると、
「元和2年(1616)2月4日、見舞いのために駿府城にいた藤堂高虎と天海僧正は、
危篤の家康公の病床に呼ばれ神君より三人一緒に末永く魂鎮まるところを
造ってほしいと遺言された。そこで藤堂家の屋敷地であるこの上野の山に、
寛永4年(1627)に東照宮を造営した。けれど家光将軍はこの建物に満足できず、
慶安4年にこれを江戸の象徴、金色殿として改築した。」ということです。
正保3年(1646)朝廷が家康に「東照宮」の宮号を贈ったことから家康を祭る
御宮を東照宮と呼ぶようになったそうです。


慶安4年建築の「唐門」です。
門の扉の両外側に、不忍池の水を飲みに行くと語られる
左甚五郎作の昇り龍、降り龍の彫刻がありました。
また、両側に伸びる「透塀」は門と共に本来は総金箔ですが、
国の予算が付かず下地漆塗りに留められているそうです。
上下の極彩色の彫刻と共に完全な形であれば目を奪うばかりでしょう。
また、一部は進駐軍が土産として持ち帰ったままになっているそうです。
唐門、透塀、本殿、拝殿、幣殿は明治時代に国宝とされましたが、
その後国の重要文化財となりました。


本殿左側の透塀の外側です。
落ち着いた雰囲気で都会の喧噪を忘れます。
境内の石灯籠は全部で約200基あるそうです。


拝殿です。
金箔はずいぶん剥げ落ちていますが、細かい格子の壁と合わせ
新しい金箔で輝くときを想像できますが、その時をぜひ見てみた
いと思いました。


拝殿の後ろに続く総金箔の本殿(金色殿)です。
ここに家康公、吉宗公、天海などの御神体が安置されています。
拝殿、本殿の内部は見学しましたが、撮影禁止となっていました。
見方によれば、幕府の力が見え、あるいは左甚五郎をはじめとする
職人の技術が見えます。技術者のはしくれでもある私はどしても
素晴らしい職人芸の方に興味が行ってしまいますね。


羽田に行かなくてはならない時刻が迫ってきました。
途中の上野公園内では楽しげなイベントがいくつかありましたが、
残念ながらゆっくり見学する時間がありませんでした。

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