よいよい写真館番外編>鶴岡八幡宮ほか

鶴岡八幡宮ほか



2006年12月9日
早朝に高知を出発、羽田に着きました。
12月といっても秋雨のような雨の降る暗い朝です。


ANAの通路が新しくなっていた。
高知便はシャトルバスで延々と外れに
連れて行かれたことを思い出す。


京浜急行で品川に出てから、JRで鎌倉へ。
今日は八幡宮詣でです。


駅を出て左手に商店街がありました。
鶴岡八幡宮の門前町というところでしょう。
お菓子、コロッケ、カレーなどさまざまな食べ物とか
ファッションや小物などのお店が両側にずらっと
並んでいて、雨にもかかわらず人が多かったです。


いよいよ八幡宮です。
鳥居の前はスクランブル交差点になっていました。


一歩境内にはいるとみごとな紅葉が迎えてくれました。


12月となり、未だに関東でこの紅葉は驚きです。
今年は異常に暖かい気候です。


石橋の左右の源平池を眺めましたが、暗い雨の中でも
結構きれいな紅葉が目を惹きます。


左右の池の間に架かっている石橋です。
昔はこんな橋を渡ったのでしょうか?


手水舎で手を清め、先に進みます。


広場の中程に舞殿(下拝殿)があります。静御前が義経公を
慕い、心を込めて舞を舞ったところだそうです。


舞殿の前からは幅の広い大石段の上に本宮(楼門)が見えます。
左には樹齢千年の大銀杏がみごとに黄色くなって辺りが明るく見えます。
(この大銀杏は2010年3月10日朝、強風で根本から折れて倒れているのが発見されました。)

 
石段の下にはあまり大きくなく、そしてあまり強そうにない狛犬さんが座って番をしていました。


鶴岡八幡宮の本宮です。
御祭神は応神天皇、比売神、神功皇后
由緒
康平6年(1063)源頼義公が奥州を平定して鎌倉に帰り、材木座に源氏の氏神として
八幡宮をお祀りしたのがはじめです。その後、頼朝公が鎌倉に入るや直ちに現在の
地に移し祀り、建久2年(1191)には鎌倉幕府にふさわしく、上下両宮の現在の姿に整
えました。鶴岡八幡宮は関東の守護、国家鎮護の神社となり、全国からの崇敬を集め
各地の村々に八幡宮が氏神様としてお祀りされるようになりました。

 
本宮の門内には右大臣左大臣?が鎮座しています。ガラス張りは珍しいですね。
中に入ってお参りしましたが、本宮内は撮影禁止となっていました。


本宮の側面には美しい彫刻や模様絵が描かれています。


なんというものか廊下を仕切る障子の彩色された彫刻がすごい。
この後、すぐ脇にある奉納された武具などを展示している
宝物殿も見学しましたが撮影禁止でした。


売店も結構売れています。


大石段降りようとして下を見ると、先ほどの舞殿がはるか下に見えます。
舞殿の中では何事かが行われようとしています。よく見ると結婚式が執り行われていました。


源平池にはカモがいましたが、カモメもたくさんいました。
美しい日本庭園です。


さて、八幡宮を出て、すぐ近くにある源頼朝の墓所に来ました。


戦国時代の始まりであり、武士の始まりである鎌倉幕府を
作り上げた源頼朝が眠っています。


「希義公の土と石」です。説明板には、以下のことが書かれていました。
「父義朝が平清盛の前に屈した平治の乱(1159)のおり、平家方に捕縛さ
れた兄頼朝は当時13歳。同じ父母の元に生まれた希義は当時3歳とい
われていますが、その後一度として兄弟の再会無く今日に至っています。
公家政治から武家政治へ移行の狭間、兄弟の悲哀を思い、今日互いの
墓所の土と石を交換し、835年の時を経て兄弟を再開させたものです。
平成6年(1994)9月25日 源頼朝公報恩会 源希義公顕彰会」
希義公の墓は高知市介良にあります。


さらに歩くと「鎌倉宮」という神社が近くにありました。


ここにも美しい紅葉がありました。


拝殿には神社としては変わった物が置かれていました。


獅子の頭です。おもしろいですね。


拝殿の右手には村上なにがしという木像が座っていて
さすると悪いものを身代わりにもらってくれるそうです。


大通りの参道(段葛)若宮大路を通り、今日の宿の桜木町に
行くため鎌倉駅に向かいました。
桜並木になっていて、両側が車道になっています。
春は桜やツツジの花が咲いてきれいでしょうね。
明後日は徳川家の墓所のある上野の寛永寺を訪問します。

よいよい写真館番外編>鶴岡八幡宮ほか