よいよい写真館番外編>鞆の浦

鞆の浦(とものうら)


 2002年10月、江田島における同窓会の帰路、広島港から車を飛ばし坂本龍馬ゆかりの鞆の浦に立ち寄った。
 海岸通りに出たのはいいけれど、もう夕暮れ。どこに何があるやらわからず、ちょうど散歩をしているおじさんに声をかけたら、「あそこに案内図の大きい看板があるよ」と教えていただいた。
 そして、案内図の前でしばらく方角を検討していると再びそのおじさんが近づいてきて、「散歩の方向なのでいっしょに行こう」と誘っていただいた。それに甘えて「いろは丸展示館」や常夜灯のある場所まで一緒に散歩をしていただいた。
 保存運動に参加しておられて、かなり地域の歴史に詳しい方だと思うが、歩きながらいろいろ説明をしていただき、よい人に出会ったと感謝しています。


海岸通りの案内看板から


 この季節、5時も過ぎればもう夕暮れ、鞆城跡の
石垣が最初に迎えてくれた。


 石工の名前の一字が彫り込んであるという。
 庶民が生きた証のひとつとして残したのだろう。


町並みの始まりで、鞆の浦歴史民俗資料館駐車場の
前にある、福山市重要文化財である「鞆の津の商家」


いろは丸が衝突沈没した事件の時、坂本龍馬が
相手と交渉するため五泊六日の宿泊をした「桝屋」


 家の角に説明が彫られた石柱が立っている。


 ここはシャッターが閉まり、あまり歴史を感じないけど、石柱の説明を見ると・・・


 坂本龍馬が紀州藩高柳楠之助
と損害賠償の会談を行った魚問
屋の角屋萬蔵(ウオマン)の家だ
そうです。


 旧街はこのような歴史を感じさせる狭い路地が多い。


 文久3年、尊王攘夷派の三条実美ら七人の公家が
京を追われ長州に落ち延びてきて、ここ保命酒屋に
立ち寄った。建物は国の重要文化財に指定されている。


 「いろは丸展示館」ですが、もう夜。中味は
残念ながら見ることができませんでした。


 船を導く江戸時代の常夜灯が今もしっかり立っている。


 港につながれている漁船やレジャーボート


 雁木(がんぎ)は江戸時代の知恵で、潮の満ち
引きがあっても荷役ができるように、船着き場に
花崗岩で階段を作った。
寺田屋の前の高瀬川の船着き場にもあったよ。


その後、2006年1月に某団体の一員として再び訪れました。


真言宗、海岸山福禅寺


福禅寺境内にある対潮楼。
朝鮮通信使はここからの眺めを”日東第一形勝”と絶賛した。


今回はいろは丸展示館に入ることが出来た。


グッズ売り場


いろは丸が海底にあった状況をあらわすジオラマ。


桝屋で龍馬が隠れて過ごしていたようす。


町筋。


船で使う道具を売る店。


インテリアにも使えそうな品々が所狭しと並べられている。


古い街並みにふさわしい外観。


弁天島と後ろは仙酔島。
この島を中心にいくつかの島が鞆の景勝の中心


鞆の朝が明ける。

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