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蜂須賀公の徳島城跡

徳島中央公園


2011年8月19日(金) 夏の徳島を訪れました。

 午前9時過ぎに出発。高知自動車道から徳島自動車道を通り徳島インターで国道11号線を南進、徳島駅方面へ向かいました。
 この国道11号線は駅近くの徳島県庁で国道55号線に切り替わるようで要注意です。

 駐車場で先ず一枚。


この地図には小さいですが左下部分に方位を示す矢印があります。それが示しているように少し方位が傾いていて、城跡
公園右側の道路がほぼ南北に走っています。インターから走ってきた国道11号線はこの図より1つ右側を走っています。
川の手前で11号線から離れ、地図の右上部分の助任橋を渡るとすぐに駐車場があったので入ると係の人が出てきました。
どこから来たかと聞くので高知からと答えると、親切にトイレや入園口の説明があり、そこに近い方の駐車位置の番号札を
渡されました(1回\350)。


入るとすぐに広場があり、奥の方に何かの像が立っていまし
たが暑いので近くまで行って確認はしませんでした。
ここから徳島城跡の堀に沿って歩きました。


バラ園があり、たくさんのバラが咲いていました。でももう時機
が過ぎたのか、真夏のことですから灌水が不足しているのか
わかりませんが、ほとんどの花は枯れかけていました。


城山のふもとには、昔、海の波が削った海蝕崖の掲示があり、
今から5〜6000年前(縄文時代)にはここが海岸の波打ち際
だったことがわかるそうです。その崖の前には川筋が作られて
いて堀の水が漂っていました。


さらにすぐ近くの岩の間には貝塚が発見されています。
案内板を見ると、約4000年前以降のもので、1mほどの貝層のほかに埋葬された人骨も出土
していて、当時の人々の生活や環境を知る貴重な遺跡だそうです。


崖は終わり、ここで堀は本来の広さ?になります。


長い塀のある場所に出ました。
この中に徳島城博物館と庭園があるようです。
そしてすぐ近くには堀の方への出入り口がありました。


見ると古そうな木橋なので、外に出て道路際から写しました。


案内板によると「数寄屋橋」というそうです。城の北東の鬼門にあたる門が数寄屋門で城内の凶事
の際以外には開かれることのない不明門とも呼ばれる門でした。


石垣の石はほとんどが吉野川の青石(緑泥片岩)です。


公園となって後に植えられたのでしょうメタセコイアの並木です。


歩いているうちに城内の南端大手門付近に来ていました。
ここは城の表入口といえる下乗橋に通じる石垣で、きれいにカットされた石が多いです。


もう昼を過ぎてお腹が減っていました。いいところに店があります。


ここではたらいうどんを食べました。暑い中を歩いて来たので、
冷たい氷に乗ったうどんは食欲をそそりました。


店を出るとすぐ前の石垣の上に何かあります。
太鼓櫓跡とあります。元は登城を知らせる太鼓をここで打ち
鳴らしていたのでしょう。


近代になって昭和8年にNHK徳島放送局ができた際に
普及のために建てられたラジオ塔だそうです。
上の格子の入った窓の中にスピーカーがあったのでしょうか。


表の出入り口になる下乗橋が見えました。


同じ石垣の上に船のマストが建てられて
いました。昭和7年に徳島市海軍班が建て、
昭和43年(明治100年)に徳島県海交会
が復元した大日本駆逐艦追風記念マスト
だそうです。殉国の霊を慰め、永遠の平和
を祈念すると書かれています。


博物館前の広場はお花見広場と名付けられています。
桜などの樹木が植えられ、彫刻などがあちこちに配されて
市民の憩いの広場となっています。


徳島市立徳島城博物館とその後ろが城山です。


博物館の入口です。
館内全て撮影禁止となっていました。これほどの必要性が
あるのでしょうか。
後で行った「文化の森」の博物館ではストロボ禁止ですが、
撮影はできました。


「当館は徳島藩と蜂須賀家に関する歴史資料の収集保存、展示公開、調査研究、教育普及
を通して、徳島市の成り立ちや文化に関する知識と理解を深め、新たな市民文化の創造と郷土
への愛着をたかめることを目指しています。」(パンフレットより)

館内は、藩政の変遷、大名のくらしと文化、城の構え、城下町のくらし、阿波水軍の活躍の5つ
の部屋とラウンジで構成されていましたが、残念ながら全館撮影禁止でしたので紹介することが
できません。ラウンジでは広いガラスから庭園を眺めながら抹茶(\200)を味わうことができました。


旧徳島城表御殿庭園です。「もと阿波、淡路両国太守蜂須賀公の居間や表書院の庭として
作られました。上田主水の作庭による桃山時代白眉の名園で、枯山水庭と築山泉水庭の二庭
からなる池泉廻遊式と鑑賞式を兼ね具えた庭園です。」
2004年の日経新聞に、何時間でも飽きない日本庭園ということでアンケートをとった結果が、
旧浜離宮庭園と並び全国で10位と発表されています。


再び公園内を歩き、蜂須賀家政公の像の前に来ました。


なんだか優しそうな顔をしていますね。
でも、博物館のパンフレットによると、四国平定の豊臣秀吉の命により、天正13年(1585)阿波に
攻め入り手に入れています。関ヶ原の戦いでは自分は阿波を豊臣秀頼に返上し隠居する一方、
長男の至鎮(よししげ)を徳川方としてわずか18騎で参戦させて、家康から阿波を与えられてい
ます。なかなかの知恵者です。


公園を歩いていると、何でしょう?近づいてみたくなりました。


小便小僧が居ました。これは子供平和記念塔だそうです。


下乗橋(小見附橋)です。この橋の前で駕籠などの乗り物から
降りて歩いて渡ったそうです。
もとは木製の太鼓橋だったのですが、明治2年には花崗岩製
になり、同41年には現在のように水平の橋に改造されました。


大手門の外側に作られた鷲の門です。
幕府には鷲を飼うからという理由を申し立てて建造したそうです。廃藩置県で城郭の建造物は取
り壊され、唯一残された鷲の門も徳島大空襲により焼失したので、平成元年徳島市政100周年を
祈念して、吉井ツルヱ氏から復元寄贈されたと書かれていました。
個人でこんな立派な物を寄贈するとはすごいと思いネットで調べると吉井ツルヱは徳島市出身で
吉井式和裁早縫法を考案されたということです。


先のたらいうどんの店脇から陸橋で駅方面に渡ることができます。
向こうに見える高さ62mの城山の上に天守が築かれていた跡が
あるようですが、今日は暑いので山登りはやめました。


ここで出会ったのが珍しい徳島城の「舌石」というものです。
屏風折塀の支柱石で、この上に支柱を立て塀の一部を堀川の
上に屏風のように突き出させ、この折塀に狭間を開けて鉄砲や
矢を撃つのだそうです。城の防御性を高める工夫の一つですね。

 この後は近くに楽しめるところはないか、観光案内所を訪ねてみようと徳島駅まで歩いて行きましたが、
観光案内所が見つからず、駅舎前の地図にあった「文化の森」に車で立ち寄った後に帰って来ました。

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