よいよい写真館番外編>高取城跡

高取城跡


2013年5月6日(月) 振替休日 晴れ


壺阪寺を通り過ぎ、少し狭い山道をドライブし、駐車場に(といっても道幅が広くなっているだけ)
車を駐め、歩きます。9時頃にはまだ2台しか駐まっていませんでしたが、帰りには10台ぐらいが
駐めてありました。


左端の現在地と書かれた場所近辺に車を置き、赤いラインを歩きました。
時間がなかったのでほんの一部しか回れませんでしたが、がんばって本丸まで往復できました。
高取城は鷹取城、芙蓉城とも呼ばれ、昭和28年に国指定の史跡となっています。

 高 取 城
 元弘二年(1332)に越智邦澄が貝吹山城の支城として築城、織田信長の一国一城令により天正八年一時廃城となりました。信長死後には、筒井順慶が城塞としました。天正十三年(1585)豊臣秀長が入城し、配下の本田利久に与え新しい縄張りで新築しました。秀吉の死後、本田氏は徳川方につき、関ヶ原では東軍として働き、功を認められ、高取藩二万五千石となりました。本田氏は寛永十四年(1637)、嗣子がなく、廃絶になりました。変わって旗本であった植村氏が明治になるまで14代藩主を続けました。


まだ、城のはずれの方ですが、さっそく石垣が。侍屋敷でもあったのでしょう。


小さな花が咲いていました。


ホウチャクソウ


ムラサキケマン


これはクサノオウかと豊富な植物を見て歩きました。


ふと見上げると高い石垣が積み上げられていました。
幕末には吉村寅太郎率いる「天誅組」が攻撃を仕掛けたのでした。


本丸まで350mの案内板が。


壺坂口門跡です。


シャガが咲いています。


少し乱雑ですが、角は算木積みになっているようです。


壺作口中門跡です。


マムシグサです。


群生していると図形的に面白いパターンの植物です。


石垣が羊歯で占領されそうです。


ここの石垣はきれいです。玄関先にやってきたようです。


明治時代、取り壊しになる前の大手門から写した写真だそうです。


大手門跡です。


十三間多聞跡です。


太鼓櫓跡です。


大正四年三月に高市郡役所が建てた、「高取城址」碑です。


城下から山上を見たようすを詠ったものです。「巽高取 雪かと見れば 雪でござらぬ 土佐の城」

平城京の普請に土佐から駆り出された人々が高取に住み働いたのですが、平城京ができた後に
なっても様々な理由から帰れなくて居着いた人々が、故郷の「土佐」を地名につけたのだそうです。
平城京遷都は和銅三年(710)、土佐の国名は「日本書紀」天武四年(675)の項から見えるそうです。


厳しく切り立った石垣です。この上が本丸か。


カンサイタンポポの咲く広場に出ました。


木々が大きく育って木漏れ日がいい感じです。


まだ一段高い場所がありました。こちらが天守台でしょうか。


天守台には三等三角点がありました。


こんな板も木の枝にくくりつけられていました。
標高583.61mだそうです。三角点をめぐっているグループのようですね。


奈良県教育委員会の史跡調査の結果が報告されていました。


帰り道を見送ってくれたイタドリです。奈良ではあまり食べられていないのか、たくさん生えていました。

よいよい写真館番外編>高取城跡