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スカイツリー周辺


2011年7月22日(金) 午後、天気は曇りで、昨日に続いて夏なのに涼しいので歩きやすかったです。
 会議の書類の入った書類カバンにお茶のペットボトルも入れて、1眼レフと両方を肩にかついで出発です。


この日、歩いたのはこんなところです。携帯についている歩数計は18000歩を記録しました。
昼までの日本橋での会議が終わり、12時半ごろ押上に到着。商店街で昼食を食べました。
計画もなく出発し、雷門でタイムリミットの午後4時を過ぎてしまい浅草駅から空港に向かいました。


押上駅にて
地下鉄の押上駅から出て、工事中の臨時通路を商店街に向かいます。
するとだれかがカメラを構えて上空を写しています。
私も上を見ました。すると大きいビルの後ろから目指すスカイツリーが覗いています。

押上駅にて
少し移動すると全体が見えました。
高い!
でも、東京タワーを初めて見た時の感激はない。

押上駅にて
なぜだろう、と考えるとひとつの答えは私が高齢者になったから
感受性が乏しくなった、というのが浮かんだ。

押上駅にて
もうひとつは、スカイツリーは下から上まで形が細長く、
東京タワーのようにふんばってない、からでしょうか。

押上駅にて
これが、関東一円に地デジなどの電波を届けるアンテナです。
駅周辺では、スカイツリーに関するペナントや模型などのお土産
グッズを売っていました。
とりあえず、駅から押上の商店街に出て昼食を食べました。

京成橋にて
右側の欄干には数人がカメラを手に上を眺めています。
京成橋北詰(写真より右方)には京成電鉄本社があります。
京成電鉄は最初は明治42年(1909)東京から成田山詣をする人々を運ぶために
始まったのだそうで、押上が起点だったのでここに本社ビルがあります。近い将来
千葉県の市川市に移転するそうです。東武鉄道のスカイツリーの足元には
居づらいのでしょうか。

京成橋にて
このあたりは、明治大正時代には東武、京成などの
鉄道と北十間川の舟運などの結節点として栄えました。
昭和の大戦後には舟運からトラック輸送に変わりましたが
東武鉄道はここを貨物ヤードとして利用、また、大阪セメント、
日立コンクリートなどが生コンクリート工場を操業していました。
その後、貨物輸送が鉄道からトラックにすっかり変わってしまい、
平成5年には貨物ヤードは使われなくなっていましたので、跡地を
活用して地域の振興を図るため、業平橋押上地区開発事業
2006年度から基本設計が始まり、2012年度完成を目指しています。
写真右側の背の高いビル、東京スカイツリー・イーストタワーには
JRの次に路線の長い東武鉄道本社があります。
京成電鉄が成田山詣りなら、東武鉄道は日光詣りの旅客を運ぶ
ためにできたようなものです。

京成橋にて
駅で撮ったのとは90度ちがいますが、この形状
では、ちがいがわかりませんね。わずかにわかるのは
ビルが左側から右側になったのと、はじめは見えなかった
工事用のクレーンがあるだけです。

西十間橋にて
少し離れてみました。

京成橋付近にて
今度は近づいて見ます。

京成橋付近にて
脚の鉄パイプに比べて働いている人の姿の小さいこと。

南側から
北十間川を挟んで直近の位置で見上げる。
一見、全体が円筒形のように見えるけど、細長い三角錐から立ち上がって
上では円筒形になっているんですね。

業平橋にて
北十間川を進み西側の橋に出ました。

業平橋にて
北十間川とスカイツリーの足下両側のビル。
向こう側のビルは東京スカイツリーイーストタワーと名付けられ
東京ソラマチとかドームシアターになるそうです。
手前側のビルは水族館ができるようです。

業平橋西方にて
業平橋を渡ると交差点から通りの奥に電車の高架が見えました。
そちらに歩いて、なんとか電車とスカイツリーが一緒に
写真に入らないかと待ちました。
タバコを吸いながら少し待つと電車が通りシャッターを押しましたが、
タイミングを逃してしまい、電車の頭は過ぎてしまいました。

向島にて
それから少し歩くと通りのまっすぐ向こうに
スカイツリーが見える場所がありました。
住居表示板には向島1丁目とありました。
蜘蛛の巣のような電線が目障りです。

向島にて
簾に朝顔がよじ登り風流ですなあ。

言問通りにて
言問通りに出て橋の方に歩くと牛嶋神社
あり、石灯籠が境界に立っていました。
牛嶋神社は貞観2年(860)の創建で、長命寺
の近くにあったが関東大震災後、現位置に
再建されました。
撫で牛や狛牛などがあります。

言問橋にて
橋にさしかかりました。隅田川にかかる言問橋です。
東武伊勢崎線の橋梁を渡る列車が見えています。
在原業平が都を偲んで詠んだ歌、「名にしおはばいざ言問はむ都鳥我がおもふ人はありやなしやと」
が、地域名「業平」や伊勢崎線の「業平橋駅」の由来であり、「言問」の由来でもあるそうです。

言問橋にて
言問橋東詰上空には首都高速向島線があります。

花川戸にて
橋を渡りきり、向島の対岸の花川戸の堤防上に下りました。

浅草にて
橋の下をくぐり上流側に出ました。

浅草にて
さらに川面に近い堤防下に移動して上流に歩きます。

浅草にて
X字形の面白い橋がありました。桜橋といって人がわたるだけの橋です。
友人によると、この橋を向こうに渡った左には長命寺という寺があり、高知
とは違う形式の桜餅を売っていて有名だそうだ。

浅草にて
さらに、昔はここに山谷堀という堀川が流れていたらしい。
吉原は今の南千住らしく、そこまでこの堀は続いていて、
隅田川を遡ってきた通人はここから堀の岸辺の日本堤を
歩いて通ったらしい。

言問通りにて
山谷堀を横切って浅草の匂いの強い方に歩く。
いつのまにか言問通りに戻っていた。前の交差点は馬道通りと
なっている。
この交差点で喫茶コロラドに入りアイスコーヒーを頼んで休憩
した。浅草寺はどこかと訊くと、すぐこの裏だと応えられた。
雷門はもう少し先だ。

吾妻橋交差点にて
この交差点を曲がると雷門が近い。
交差点を渡る前はビルの上に、「きんと雲」が見えたのに、渡ってしまうと見えなくなった。

雷門にて
やっとたどりついた雷門。やっと知っている場所に到着しました。
仲見世通りも歩きたかったけれど、空港まで行く時間が心配で、
ここで出張ついでの旅は終わりです。

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