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今治市村上水軍博物館


2006年5月3日 今治市を訪れました。


 これから渡る「瀬戸内しまなみ海道」です。橋を一つ分(間には小島がいくつかある)渡ると博物館のある「大島」です。
 「海賊」と聞くと、航海する船を襲い金品を巻き上げる、海のヤクザというような悪いイメージを私は持っていました。
 そこで、水軍(=海賊)の博物館とはいったい何?どうせ、いかがわしいものだろうと興味本位で訪ねてみました。


瀬戸内を中心に南北朝時代から戦国時代にかけて活躍した村上水軍の博物館が2004年に
できていました。思いがけず3階建ての立派な建築です。
今治市立のようですが、たかが海賊のためにこんな立派なものを建てるなんて、
きっと高知市とは違って財政が裕福なんだなあと第一印象。

 
敷地の入り口には阿吽の仁王さんのように、大島のすぐ近くの小島の能島に本拠を置いた村上武吉公、元吉公親子の像が立っていました。


玄関脇には元吉とは兄弟の景親公の座像がありました。


一番手前が大島、橋を渡ると伯方島。その間にある鵜島と大島
の間に小さな点のようにみえるのが村上水軍の本拠地能島。
そして、大島からの橋の伯方島側の直下に見近島があります。

 
当時の軍艦の模型と、船と船の戦闘に使われた武器です。
このカギ棹で、あいての船を引き寄せ乗り移ったり、長い槍でついたりしたのでしょうか。


見近島で海賊の生活した跡が発掘されたようす。
能島は城で、近くの見近島は居住区だったのでしょうか。


当時のものと推定される鎧が見つかったけれど、大変傷んで
いたので、専門家に依頼し2年がかりで修復したといいます。
講義室では修復作業のビデオが放映されていました。単なる
戦利品ではなく自分用に使っていたと推定されるようです。


 他の展示も見て、南北朝から戦国時代にかけて、海上や島々を領地とし治めていたことは、
陸上で領地争いをしていた武士たちとあまり変わりないではないかとわかり、ここに来る前に、
たかが海賊のために博物館を、と思ったのは間違いと気付きました。

海賊衆・能島村上氏

 村上氏は、南北朝から戦国時代に掛けて瀬戸内海で活躍した一族である。俗に三島村上氏と呼ばれる。能島・来島・因島の三家からなり、互いに強い同族意識を持っていた。
 戦国時代になると、村上氏は、その強力な海の武力を背景に、瀬戸内海の広い海域を支配し、国内の軍事・政治や海運の同行をも左右した。この後、来島城を本拠とする来島村上氏は早くから守護大名河野氏と結びつき、因島村上氏は大内氏のち毛利氏の有力な水軍となった。そして、現在の宮窪に本拠を構えた能島村上氏は、3氏の中でもっとも独立性が高く、特に村上武吉は、どの大名にも臣従せず、独自の姿勢を貫いた。
 武吉の時代に全盛を謳歌する能島村上氏は、西は九州から東は塩飽諸島に至る海上交通を掌握していた。戦時には、小早船を巧みに操り、火薬を用いた戦闘を得意とした。その一方で、平時には瀬戸内海の水先案内、海上警固、海上運輸など、海の安全や交易・流通を担う重要な役割も果たしたのである。
(今治市村上水軍博物館パンフレットより)

 3階の展望室から見える島々。一番左に大島の端が見え、中の
小島が城跡のある能島、右の大きい島は鵜島です。


1階から2階に上がる階段の壁には大漁旗とともに、村上氏
の歴史が小学生にもわかるような絵が掛けられていました。


帰りに立ち寄った漁港では鯉のぼりが泳いでいて、さわやかな初夏の一日でした。

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