よいよい写真館番外編>壬生寺周辺

壬生寺と周辺


2003年8月18日 壬生(みぶ)寺を訪れました。

壬生寺門前
壬生寺です。
正歴2年(991)創建。本尊は、延命地蔵菩薩です。

 文久3年(1863)にこの地で結成された新撰組の兵法調練場に使われました。
慶応元年(1865)には隊士の増員により手狭となったため、
西本願寺に屯所を移しましたが、その間、池田屋の変、禁門の変などがありました。
−−−−−−−
道に迷い、この周辺を2回、3回とまわりました。
この門前の道は狭いので、まさかこんな大きい寺があるとは気がつきませんでした。

壬生塚入り口
 境内にはいるとすぐ、この建物を入り口として向こう側に近藤勇、
芹沢鴨、平山五郎、ほか11名を祀る壬生塚がありました。


 建物をくぐって中に入るとまず池があり、赤い欄干の
橋がかかっていました。

近藤勇胸像
 橋を渡り右方に道があり、その奥に新撰組隊長、
近藤勇の胸像がありました。

近藤勇胸像
 勤王の志士に対して、浪人を集め、京都の町を守る幕府側の守護役を買って出ました。
この壬生寺では隊士の兵法訓練を行いました。その忠誠心は凄いものが
ありましたが、時代は動き無血開城を決めた慶喜からは遠ざけられ、
戊辰戦争では山梨で捕らえられ、最後を迎えました。

なお、ここにはつぎのような案内がありました。

壬生寺と新撰組について

 新撰組は文久三(1863)年に、この壬生の地において結成された。現在もその屯所跡が、壬生寺正門前の坊城通りに残っている。
 かつて壬生寺境内は、新撰組隊士の兵法調練場に使われ、武芸や大砲の訓練が行われていた。また、新撰組にまつわる逸話も、当寺には数多く残っている。
 壬生塚にある墓碑は、新撰組やその遺族らによって建てられたもので、毎年七月十六日に池田屋騒動の日を卜し、「新撰組隊士等慰霊供養祭」が行われる。


壬生塚に祀られている隊士

 近藤 勇     局長    没年 慶応四年(1868) 四月二十五日
 芹沢 鴨     局長    没年 文久三年(1863) 九月十八日
 平山五郎     副長助勤 没年 文久三年(1863) 九月十八日
 河合耆三郎   勘定方   没年 慶應二年(1866) 二月十二日
 阿比原栄三郎  副長助勤 没年 文久三年(1863) 四月六日
 田中伊織            没年 文久三年(1863) 九月十三日
 野口健司     副長助勤 没年 文久三年(1863) 十二月二十八日
 奥沢栄助     伍長    没年 元治元年(1864) 六月五日
 安藤早太郎    副長助勤 没年 元治元年(1864) 七月二十二日
 新田革左右衛門 平隊士  没年 元治元年(1864) 七月二十二日
 葛山武八郎    伍長    没年 元治元年(1864) 九月六日

壬生寺境内
 広い境内には、老人ホームや保育園があって、その多角経営ぶりには驚きました。     

壬生寺本殿
 地蔵尊の看板が見えます。

地蔵尊集合
 パゴダのようですが、京の街の開発で移動撤去をせられた
お地蔵さまを集めてここに祀っているようです。

壬生寺本殿
 鳩もえさをついばみ、観光客も少なく、平和な一日でした。

武具屋
 壬生寺から少し歩こうとしてすぐにこの赤い旗を見つけました。
 新撰組御用達京屋忠兵衛という看板には武具とか刀剣とか書
いてありました。

屯所餅
 屯所餅を作って売っている御菓子所建物の奥が新撰組屯所です。

新撰組屯所

 屯所として使われた八木邸について、男性が見ている立て札には下のように書かれていました。

「新撰組発祥の地跡」

 ここは、幕末の頃、京都の浪士取り締まりや治安維持に活躍した新撰組の宿所があったところである。
 文久三年(1863)春、将軍家茂の上洛警護のため、清川八郎の率いる浪士組が入洛したがその宿舎の一つとして使われたのが、当時壬生郷の郷士宅であった当屋敷であった。
 浪士組は、在京二十日余りで再び江戸に戻ったが、当初に分宿していた、芹沢鴨、新見錦、近藤勇、土方歳三らは引き続き京都の警護のため残留し、京都守護職松平容保の支配に属して「新撰組」と名のった。
 当初、新撰組は当屋敷に「新撰組宿所」の表札を掲げ、隊員はわずか十数名で発足したが、次第に隊員が増加し、付近の農家にも分宿した。
以後、市中の治安維持に努め、元治元年(1864)の池田屋事件で一躍その名を轟かせた。
 翌年の慶應元年(1865)四月、屯所は西本願寺に移された。
                                 
京 都 市


屯所の門
 この門をくぐると近藤や土方たちの住んだ家です。
 家の中では地域の歴史家が、新撰組の始まりから、
放蕩無頼の芹沢の暗殺などの逸話を語ってくれます。

八木家住宅に建てられていたガイドです。

「八木家住宅」

 八木家は、壬生村きっての旧家で、かつて壬生郷士の長老をつとめていた。また、基本には新撰組の近藤勇、土方歳三らの宿所となり、旧壬生屯所として知られている。
 建物は、長屋門が東に開き、その奥に主屋が南面して建つ。当家に残る普請願から長屋門は文化元年(1804)、主屋は文化六年の造営と知られる。
 主屋は、西端に土間を奥まで通し、土間に沿って居室を三室ずつ二列に配する。入口は土間部分に開くほか、東南隅に式台を構えた本玄関を配し、その北に仏間奥座敷を一列に並べて格式ある構成をとっている。長屋門の外観は、腰に下見板を張り、与力窓や出格子窓を開くなど、昔のおもかげをよく残している。
 壬生地区は今日市街化が著しいが、かっては洛中に近接した農村であり、当家は幕末期の農家の遺構として、また、新撰組ゆかりの建築として貴重であり、昭和五十八年六月一日、京都市指定有形文化財に指定された。

                        京 都 市

旧前川邸
 ほんの少し歩くとここも屯所として使われた前川邸。
来年は大河ドラマに新撰組が取り上げられるそうですね。
ここも大勢の人々が訪れることになるでしょう。

よいよい写真館番外編>壬生寺周辺