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松山城


2007年11月22日(木) 愛媛県の松山城に始めて登って来ました。

 愛媛県松山市には今まで何度も行ったことがありましたが、その城山には登ったことがありませんでした。
 松山城の周辺にはいくつか駐車場があるようですが、飛び込んだ駐車場は城山西南側の「二之丸史跡庭園」の無料駐車場でした。 ここから今日のお城見学が始まりました。

松山城のパンフレットから沿革を拾い上げると、以下のようです。

慶長8年(1603)に正木城にいた加藤嘉明(20万石)が築城し、移っている。寛永4年には会津(40万石)へ移封。
寛永4年(1627)に蒲生忠知が出羽上の山城より移封。二之丸を完成させた(24万石)。寛永11年嫡子のないまま逝去。
寛永12年(1635)には、徳川家康の異父同母の弟松平定勝の子、松平定行(15万石)が伊勢桑名より転封。寛永19年に天守を三層に改築した。
以後代々松平家が続く。
天明4年(1784)天守が落雷で焼失。
文政3年(1820)天守の再建工事はじまる。
安政元年(1854)天守の再建が完成する。
明治元年(1868)松平姓を返上し、旧姓の久松となる。
明治2年(1869)版籍奉還
明治3年(1870)三ノ丸全焼。続いて5年二之丸焼失。
大正12年(1923)久松家から松山市へ城郭を寄贈。
昭和8年(1933)小天守、南北隅櫓、多聞櫓が焼失。
昭和20年(1945)乾門など戦火のため焼失
昭和24年(1949)筒井門など放火により焼失
昭和33年(1958)馬具櫓を鉄筋で復興。
以後、昭和43年から平成2年にかけ、焼失していた小天守、南北隅櫓、多聞櫓、十間廊下、筒井門、太鼓門、太鼓櫓、天神櫓、乾門同東続櫓、艮門同東続櫓、巽櫓、太鼓門西壁を次々と木造で復興して立派な観光資源としている。

高知市では高知城にこれだけのことはできない。松山市の財力と市民の歴史文化に対する理解度を見せつけられた気がします。


駐車場から回り、すぐ上の「二之丸史跡庭園」に向かいます。


ここの石垣にはナイロンロープで編んだ網がかけてあります。
近くで掃除をしていた人に聞くと、直下に道路があるので小石が
落ちると危険だからだそうです。


坂の上には少し新しいような石垣があり、訊ねると芸予地震の
際に膨らんできて危険なので積み直したそうです。


復元された長屋と入り口です。
寛永4年に蒲生城主が着任した時、まだ松山城は未完成で、二之丸建設に邁進したそうです。
明治になり三ノ丸が藩庁となっていたが、明治3年三ノ丸邸が焼失し二之丸邸に藩庁が移動。
明治4年に城域が兵部省の管轄となると翌年二之丸邸が焼失。
明治10年から陸軍省の管轄となり明治18年には二之丸に病院が建てられている。
昭和24年には病院が三ノ丸に移転し、同25から58年まで二之丸には城東中学校が設置された。
昭和59年からの発掘調査を含め平成4年までかかってこの史跡庭園を完成させています。

入園券
入園料100円を払って先ず長屋の中の展示室を見ます。


当時の二之丸の表御殿・奥御殿の様子を表したジオラマです。
その他、松山城の歴史や「坂の上の雲」に関する展示などがあります。


次に庭に出てみたら、なにやらプールのようなものがありました。
発掘した御殿の間取りをそのまま表した「奥御殿跡流水園」です。


谷の水を呼び込んだ「林泉庭」です。
紅葉がきれいでした。


大井戸跡と周囲に広がる「表御殿跡柑橘・草花園」です。


二之丸史跡庭園の裏に回って登城します。
二之丸の奥門が見えていますが、登城道は左の上り坂を進みます。
城山の登城道は4つあるようです。この二之丸史跡庭園を挟んだ
黒門口登城道と県庁裏登城道、そしてロープウェイのある東側から
東雲神社を経由する東雲口登城道、最後に城山の西北側からの
古町口登城道があります。


上から見た登城路です。
緩い坂道が急斜面の林の中をジグザグに登ります。


途中にあった「松山城山樹叢」
築城時にははげ山だったが、アカマツが山一面に植えられ、
松の山になったと伝えられると書かれています。
その他、書かれている樹木を確認しながら登るのもいいでしょう。


こんな立て札もありました。注意の必要などんな野生動物がいるのでしょう。


道草をくいながらいつのまにか山上に近づいたようです。


紅葉と切り立った石垣の曲線がきれいです。
どこの石垣を見てもコケも生えていない。どうして石のすき間に草が生えていないのか不思議です。
高知城は草ぼうぼうで刈り取っても刈り取っても草は元気です。
石垣の積み方のちがいかなあ。それとも何か特別な工夫がされているのかなあ。


坂の上を見れば天守閣が遠くに見えます。


これから上には防御のため、いくつも門があります。
これは扉のない門で「戸無門」というそうです。


「筒井門」です。


「筒井門」をくぐって上がり、振り返ると左に小さい門が併設されて
いるのがわかりました。
門に迫る敵を側背から攻撃するためです。


さらにもう一つ「太鼓門」が広場の入り口にありました。
左の部分が空洞になっていてそこから敵を射撃するようになっています。
上には櫓があり、石を落とすことができたようです。


太鼓門をくぐると、天守を望む標高132mの城山の広場に出ました。
松山城の天守は現存12天守のひとつで、4つが国宝、8つが重要文化財に指定されています。
<弘前城、備中松山城、松本城(国宝)、松江城、丸岡城、丸亀城、犬山城(国宝)、松山城、彦根城(国宝)、宇和島城、姫路城(国宝)、高知城>


右手には深さ44mという井戸があり、その向こうには茶店が
見えます。時刻は午後1時をまわっていてお腹がすいたので
昼食をとるため店に入りました。


とべ焼きの大きな器に入った親子丼を食べました。
この店ではお汁粉などの甘味やうどんなどのメニューがあり、
また、民芸品のおみやげなども豊富に並べられていました。
箸袋


天守に近づきましたが、まだ石垣の上です。
石垣の手前で入場料500円を支払うようになっていました。
入場券


坂道を上りながら上を見ると、青空に白い雲がきれいです。


左右の建物の間に天守がありました。
ここから進むには両側から攻撃を受けそうで、威圧感がありますね。
三重三階地下一階付本瓦葺の建築で、現存する日本の12天守の中で最も後期に再建されたものという。


天守の窓は左右対称ではないですね。ちょっとちぐはぐです。


両側の建物の間を進むと、右手に門がありました。
「一ノ門」です。


ここの階段は丸い自然石を使った緩い段です。


しかし、次の「ニノ門」手前には高く急な石段が待っていました。


「三ノ門」です。まだ天守には辿り着きません。


堅牢な柱の上にまだ鉄の帯を貼り付けた「筋鉄門」です。


これでやっと天守の中庭に入ることができました。
中庭をぐるりと建物群が取り囲んでいます。
先ずこれがくぐってきた「筋鉄門」と「小天守」です。


その右隣が「南隅櫓」。


その右隣が「十間廊下」です。


その右隣が「北隅櫓」で玄関がついています。


その右隣が「内門」です。


その右隣が「穀倉」です。この上に天守があります。
これで一周です。この右隣はくぐってきた「筋鉄門」です。

 
天守には刀剣や槍、鎧兜などの武具や、藩主の趣味の品などが展示されています。






薬缶


火事頭巾

 
南と西

 
北と東
天守閣の窓からは上のように松山市街が見渡せました。
松山をよく知っている人は、ここでしばらく時間を費やし楽しむことができるでしょう。


先ほどの「内門」を出ると升形の区画があり、すぐに「仕切門」がありました。


本壇の隅に菅原道真公を祭る「天神櫓」がありました。
鬼門を守るために建てたようです。


再び「三ノ門」「ニノ門」「一ノ門」をくぐり出てきました。


広場を通り帰途につきます。


サクラの紅葉もきれいなものですね。


城山の東側から上がって来る、ロープウェイの乗り場を覗いてみました。


リフトも開放的で楽しそうです。見ているとご夫婦らしき人達が
乗って上がってきました。
なんとなくロープウェイの駅方向に帰って来てしまったのだけど、
家に帰り着いてから城郭の地図を見ると、天守本壇の料金所を
左に進み「紫竹門」、「乾門」、「乾櫓」を見るべきだったなと思って
います。それに反対側の「艮門」、「巽門」も見ていません。残念。

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