よいよい写真館番外編>金刀比羅宮

金刀比羅宮


 ♪金毘羅船々追風(おいて)に帆かけてシュラシュシュシュ
   まわれば 四国は讃州(さんしゅう) 那珂の郡(なかのごおり)象頭山(ぞうずさん) 金毘羅大権現(だいごんげん)♪
という歌を覚えたのはおんちゃんが小学生の頃やったぞね。小学校で一度親戚の人と一緒にお参りした記憶がありますが、その後何度か訪れたことがあります。でも最初に訪れた記憶が強いですね。そんなわけでおんちゃんにはわりあい親しみのあるところぞね。

 2005年11月23日再び訪れました。今日はうわさに聞く龍馬像を見たいなと思いつつ、高松自動車道を善通寺インターまで利用してやってきました。


まずは軽く腹ごしらえ。讃岐うどんのしにせ?です。参道の階段の始まるすぐ手前でした。


階段が始まりました。785段の石の階段です。
両側におみやげものの店がずらっとならんでいました。
小学校の頃にはショウガの砂糖漬けがよく売られていましたが、
今はあまり店に置かれてなかったように感じます。


大門手前の鳥居です。ここから左に小道が続いていますが、伊予土佐街道です。


ここからは急な坂になっていました。
このあたりで、脚が動きにくくなってきましたが、それを我慢してゆっくり登っていると楽になってきました。


途中にある金刀比羅大教総本部の建物。


大門です。二層入母屋造瓦葺で境内の総門です。
慶安2年(1649)高松藩初代藩主松平頼重が寄進したそうです。


よく仁王様がいる場所ですが、大きい武者人形が立っていました。


大門をくぐると本宮への道が続きます。
両側には飴屋が店を開いています。


宝物殿では冷泉為恭展が開かれていました。
ここには清水次郎長が石松に持たせ奉納したと伝えられる刀、「肥前国忠吉」が展示されているそうです。


厩舎があり白い神馬が飼われていました。


なんと大きいプロペラでしょう。今治造船株式会社が奉納したものです。

 
これから旭社に向かいます。


途中に書院がありました。入母屋造、檜皮葺で万治年間(1658〜1660)の創建。
ここには丸山応挙の描いた鶴や虎などの襖絵があるそうです。


祓戸社です。ここでお祓いをして本殿に上がるということです。
祭神は瀬織津姫神、速秋津姫、気吹戸主神、速佐須良姫神。


祓戸社の隣にあった火雷社です。鎮火消防や疫病を防ぐ神様だそうです。
祭神は火産霊神。相殿として奥津比古神、奥津比賣神など。


旭社です。ここには灯籠など土佐からの奉納が沢山あります。
彫刻も豊富に施され、あまり立派なので石松は次郎長の刀を本宮でなくここに奉納したと伝えられているそうです。
祭神は天御中主神、高星座霊神、神星産霊神、伊邪那岐神、伊邪那美、天照大御神、天津神、国津神、八百万神
天保8年(1837)に金堂としてできた。総欅造二重入母屋造、銅板葺。国の重要文化財。


玉垣のなかに、才谷屋の名がありました。

 
いよいよ本宮に向かいます。


やっと大物主神と崇徳天皇を祭神とする本宮に着きました。
農業、殖産、医薬、海上守護の神様です。


何か行事があるのでしょうか、巫女さんや神主さんたちが忙しく準備していました。


ここまで上がると讃岐平野を一望に見ることができます。
讃岐富士や瀬戸大橋が遠くに見えました。


本殿から長い渡り廊下が伸びていました。
南渡殿といい明治11年に建てられたそうです。


渡り廊下の先にあったのは大物主神の后の神である三穂津姫を祭る社でした。


絵馬殿には様々な海や船に関する奉納絵馬がかけられていました。


絵馬殿の外観です。


帰り道で午後3時前ですが登ってくる人が多くなっていました。


大門下から伊予土佐街道に出て住宅街を歩いていると、こんなマンホールの蓋がありました。
石段の参道を上から見た、ちょうどこの上の写真のようすをあらわしているようです。


舗装道路から舗装のない山道に変わります。


約1km歩き、カーブを曲がったとたんに立像が見えました。
右の崖には土佐藩の商家からの奉納石灯籠が並んでいました。
ここは牛屋口といって、国道ができるまでは交通の要衝として栄えていました。


街道を急ぐ龍馬さんの姿です。
この街道についての説明板がありました。
「金比羅街道(旧伊予土佐街道) この街道は当時伊予(愛媛県)、土佐(高知県)、讃岐(香川県)
を結ぶ唯一の街道でした。このため幕末には土佐藩からの脱藩者(坂本龍馬、中岡慎太郎他)が
土佐街道をやってきて、牛屋口を越え、丸亀へ抜け、京や上方へと出て行ったといわれています。
幕吏に追われた高杉晋作は、日柳燕石の庇護の元、古市麦秋の案内で牛屋口を抜け、伊予国境
(現在の三豊郡豊浜町箕浦に番所があった−−この番所の建物も現在は屋島の四国村に移築さ
れて保存されている)のあたりをくぐり抜け川之江から船で長州に難を逃れたといいます。
昭和60年3月香川県」
この龍馬さんの像については何の説明もありませんでしたが、某ウェブには、文久元年(1861)
十月に剣術詮議という名目で讃岐丸亀城下を訪れたことをあらわしているのではないかとありました。


引き返して土産を買いました。
ここは「舟々せんべい」と「石松まんじゅう」を作りながら売っているお店です。


モンローに出会いました。
琴平郵便局近くの喫茶店「幸」kouです。店内の壁と言わず天井と言わずポスターでいっぱいでした。
今日は、小学校時代の思い出がよみがえる、また、龍馬さんの足跡が感じられるいい旅でした。

よいよい写真館番外編>金刀比羅宮