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木屋町界隈


角倉了以翁顕彰碑
 八坂神社からてくてく歩いてやってきた木屋町筋で
初めて出会った歴史的なもの。
 これはなに?と京都市立立誠小学校の玄関前にあ
る碑を見た。
 ここに流れる二条から伏見まで全長約10,500mの間
を結ぶ運河である高瀬川を作った「角倉了以」(1554〜
1614)を顕彰しているのでした。

土佐藩邸跡
 小学校があったからもうすぐだなとガイド地図を見ながら
少し歩くと「土佐藩邸跡」を発見。
 このあたりを歩く二本差しの姿が連想してきました。

坂本龍馬・中岡慎太郎遭難の地
いくつかのホームページの写真で見たとおりでした。
 繁華街のど真ん中だから仕方がないかと思いつつも、
本当に何もないので残念でした。

酢屋
 龍馬の本来の下宿先だった。あの日もここにいれば助かっ
たかもしれないのに・・・

材木商「酢屋」
 現在も小物や土産物を売ったり、2階はギャラリーとなっている。

坂本龍馬寓居之跡
 酢屋の右端にある石碑です。

武市半平太寓居跡
 ここは土佐勤王党主である武市半平太が仮住まいしていたところです。

吉村虎太郎寓居跡
 武市半平太の寓居跡の右側に接して、天誅組の
吉村虎太郎が仮住まいしていたところです。

佐久間象山寓居跡
 朝から歩いていますから、足が棒になってきました。
 駐車場があったので、ああ、ここに車を置けば良かった、
けど、料金高いなあなどと思いながらふと看板の後ろを見ると、
佐久間象山が仮住まいしていたという碑がのぞいていました。

幾松
 水を打った踏み石の通路が私を誘っていましたが、
なんだか高そうなので入れませんでした。
 桂小五郎はここに通っていたのかなあ。

幾松
 レストランとホテルか。


 大村益次郎および佐久間象山遭難の碑が川向こうにあった。

高瀬川
 当時の川船がやっとすれ違うことができるだけの川幅で、
底の浅い川船(高瀬舟)しか通れません。

池田屋騒動之地
 「新撰組」が有名になった池田屋の跡はパチンコ屋と
なっていました。
 この頃にはもう足が疲れて、意欲がゼロ付近に降下、
本日の打ち止めとなってしまいました。

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