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純信堂・川之江城


 2006年6月12日(月) おんちゃんは川之江(四国中央市)を訪れました。

次に行たがは、純信堂ぞね。

この純信堂は、川之江駅近くの国道11号線に出て、東の県境向いて行たら右側にあったがやき。
どういて高知の「坊さんかんざし」と川之江が・・・

「♪土佐の高知のはりまや橋で坊さんかんざし買うを見た」の歌で有名な純信・お馬の物語じゃ
けんど、その後半やね。駆け落ちまでしたきにお役人に捕まって最終的にお馬は須崎へ、純信
は国外追放ということになり、伊予の国へ。ここに住んじょった土佐出身と見られる川村亀吉の
もとで寺子屋を始めたらしいがじゃと。

お堂の右手にある「娚名墓」と彫られた墓石の横面には「川村亀吉 行年五十二歳」と添えられ
ちゅうき、これが純信の恩人のお墓じゃろうね。

その後、ジョン万次郎を帰国後取り調べたことで有名な河田小龍がここを尋ねたときに、純信は
お馬宛の恋文の手紙を小龍に頼んだがやけんど、小龍は既に須崎で家庭を築いていたお馬に
は渡さず、ふすまの下貼りにしてしもうたと。それが後世になって発見され、その手紙の文がここ
の看板になっちゅうがやね。


周囲には昔の一里塚の標もあります。
芭蕉の句碑や、奥の方は坊さんのお墓のようです。


海軍兵長さんのお墓もあります。


たかでたまぁるか、恋文がこんな看板になって
しょう、恥ずかしいちや!


国道を東向いて走ってきたら、この看板がよう見える。これが目印ぜよ。


さて、次は川之江城を探検。ここは四国中央病院からまっすぐ海の方(北)に行たら見えて来たぞね。


幼稚園か小学校かの屋根越しに、こんもりした小山の上に
見えた川之江城。


市民の憩いの森公園のようやねえ。


川之江ライオンズクラブが昭和61年に建てた、まだ新しい標柱


川之江城復元記念碑と櫓門
本丸付近の石垣にわずかに名残を留めるに過ぎなかった城跡を川之江市制施行30周年記念事業
として、市民の浄財を基に61年度に完成したとのこと。愛媛県にはこういった市民の財力による復元城
が多いようですね。


櫓門をくぐると回り道をするように石段が本丸に伸びる。
高知ではすっかり終わったツツジがきれいに咲いちょったぞね。


近代的なスタイルやねえ。もちろんコンクリート造。
復元というけんど、一体いつこんな城があったがやろうか。
川之江の年表を見ても最後の天守閣は戦国時代築城のはずじゃが。
こちらも月曜日は休館日じゃった。


 川之江城は南北朝動乱の頃南朝方、河野氏の砦として、
土肥義昌が延元2年鷲尾山(今の城山)に川之江城を築いた。
その後北朝方の細川頼春に破れたが、後に城は河野氏に返
され妻鳥友春が城主になった。その後長曽我部氏が討ち入ると
友春は河野氏に背き長曽我部氏に通じた。怒った河野氏は
河上但馬守安勝に命じて城を奪取するも、長曽我部氏の再度の
攻撃に落城。・・・等々なかなかの戦いや城主交代があったよう
です。

天守閣
1.工期 昭和59年12月27日〜昭和61年6月30日
2.構造 鉄筋コンクリート造 3層4階地下1階
3.延べ面積 538.50平方m
  4階=展望台 3階=展望室・倉庫 2階=展示室 1階=展示室
  地階=避難口 付け櫓=管理事務所、便所
4.開館時間 午前9時〜午後4時
5.観覧料 個人大人100円 小人50円 団体30人以上2割引

 ほかに鉄筋コンクリート造粘土瓦葺2階建の涼櫓(すずみやぐら)が建築され、
貸部屋として利用されています。


復元記念碑の裏に石版がありました。
こちらの石版によると、1611(慶長16)年に川之江城は解体され松山に運ばれ城は無くなったが、
ずっと城下町と呼ばれてきたらしい。1964(昭和59)年の市制30周年にあたり八千人あまりの市民、
ゆかりの人々の浄財でこの城を復元したという。
この川之江城復元募金委員会の会長、副会長の中にも、先ほどの「高原ふるさと館」の寄贈者と
同じ高原姓の人がいました。紙の町川之江を愛する華麗なる一族でしょうか。

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