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照國神社


2005年10月28日 照國神社を訪れました。


島津斉彬公を祭神とする照國神社を見学しました。
宿泊したホテルから歩いて数分の所です。


昭和37年5月に氏子の方が奉納した立派なイヌマキです。
鹿児島市の保存樹として保護されていました。
羽を広げた鳥の形に見えますね。


広い階段で境内に登ります。


こちらの大きな灯籠は日露戦争での凱旋記念とか。


手水舎はコンクリート造りでした。


御由緒を書いた看板です。

   照 國 神 社 の 御 由 緒
 御祭神 照國大明神(薩摩藩主島津家二十八代島津斉彬公) 御祭神は文化六年(1809)薩摩藩主島津斉興公の御嫡男として江戸で御誕生になりました。幼少の頃曾祖父島津重豪公や母賢勝院の薫陶を受けられ学問を好まれ広く世界に目を向けた開明的な考え方と科学的な知識を身につけられました。公は嘉永四年(1851)四十三歳で藩主に就任されるや幕末内外多事多難な状況に対応して国事に奔走欧米諸国のアジア進出の情勢を踏まえて日本を強く豊かな国にするため積極的に西洋の科学技術の導入に努められました。さらにその核となった日本初の西洋式工場群「集成館」を鹿児島に設置され「富国強兵」「殖産興業」という理念のもとに近代日本の礎をお築きになったのです。また、公の発案による日章旗(日の丸)の制定はまさに日本が国際社会にその第一歩をしるした象徴であります。
公は安政五年(1858)五十歳で薨去されました。御治世僅か七年でありましたがこの間明治維新に活躍した多くの人材を育成しておられます。文久三年(1863)にはご生前の幾多の御事績を称えて勅命により照國大明神の御神号が授けられました。そして一社を南泉院の郭内に創建し翌元治元年照國神社と称しました。当社は明治六年県社、同十五年別格官幣社に列格し今日鹿児島県の総守護神・氏神様として尊崇されております。


拝殿です。島津斉彬の神は御利益は?


ふり返ると山門から拝殿が見えます。この親子は七五三詣りだったようです。


島津斉彬公は、斉興公の嫡男として文化6年(1809)江戸で
誕生しました。学問を好み、科学的な知識を身につけ、嘉永
4年(1851)43歳で藩主になりました。
欧米諸国が虎視眈々と日本の開国をねらっている中、富国
強兵殖産興業を唱え、近代日本の基礎を築きました。


安政5年(1858)50歳で亡くなられ、わずか7年間
という治世でしたが、その間、明治維新で
活躍した多くの人材を育成されました。

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