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知覧特攻平和会館


2005年10月29日 知覧を訪れました。


鹿児島市からは山越えのスカイラインがあり、途中では桜島
の雄姿を望むことができました。


 この特攻平和会館は大東亜戦争末期(戦後は太平洋戦争ともいう。)、沖縄決戦に、人類史上類
のない爆装した飛行機もろとも肉弾となり敵艦に体当たりした陸軍特別攻撃隊員の遺影、遺品、
記録等貴重な資料を収集・保存・展示して当時の真情を後世に正しく伝え世界恒久の平和に寄与
するものです。(知覧町作成のパンフレットより)
知覧特攻平和会館のHP


特攻像「とこしえに」
 特攻機は遂に帰ってきませんでした。国を思い、父母を思い、
永遠の平和を願いながら 勇士は征ったにちがいありません。

 特攻像「とこしえに」は全国の心ある人々によって建てられました。
御霊のとこしえに安らかならんことをいのりつつ りりしい姿を
永久に伝えたい 心をこめて ああ、開聞の南に消えた勇士よ

  制作 日展審査員 伊藤五百亀先生
  除幕 昭和49年5月3日
  建設 知覧特攻慰霊顕彰会
   (説明石板より)


母の像「やすらかに」
 特攻隊の若い命は帰らず。 出撃の瞬間まで求めたであろう母の姿。
 この晴れ姿をせめて母上に一目 最後の別れとお礼を一言
 胸も張り裂けそうなその心情は 母もまた同じであったろう
 今ここに立つ母の姿 とこしえに母と共に安らかに
 母の暖かいみ胸で み霊の安らかならんことと 世界平和を祈念して
  昭和61年3月30日
  熊本県芦北町 前田 将
    (説明石板より)


再現された三角兵舎と知覧平和観音です。
屋根の上にも杉の葉をのせて偽装してあったようです。
各地から招集された若い隊員はここで2,3日過ごし、遺書
を書いたり壮行会を行ったりした後に出撃していったようです。
なんとも悲惨なことです。


水冷エンジンを積んだ飛燕戦闘機を中心として周囲の壁に沿って
1,036名の特攻隊員の遺影と遺書等の遺品が展示されていました。
この時点ではとっくに敗戦とわかっているのに、戦闘員として育てら
れた若い命が無惨に失われていったことがよくわかります。


昭和55年に海中から引き揚げられた零戦   
自分たちの特攻で国を守り、母や父を守ることができると信じ
込まされていたのですね。中にはこれではいけないと気がつい
ていた人の記録も散見されますが、既に遅く全体の流れには
押し流されるしかなかったようで、恐ろしいことです。


隼戦闘機の復元模型です。
会館の展示を見て、記録等で戦争の恐ろしさがよく分かりました。何よりも上に立つ指導者が
戦争に訴えなければならなくなるような国の政治をしないでもらいたい。戦争になれば勝っても
負けても悲惨なのは戦闘員やその家族達、また一般市民なのです。

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