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高知から福井へ

福井城跡


2012年8月8日(水)


朝、8:01高知発の「南風」で出発。


岡山で新幹線に乗り換え、「のぞみ」は10:49岡山発。


「サンダーバード」は新大阪発12:16でした。


福井駅に着いたのは14:08で、約6時間かかりました。


福井駅から徒歩数分で福井城跡に出ました。堀に囲まれた石垣がありました。


ちょうど3時になりました。施設はだいたい5時までです。時間を考えて、先に福井市立歴史博物館
を訪れました。ここはその庭園で、「養浩館庭園」です。
時間を考えて先に行ったのですが、ここは3月から11月の間は9:00〜19:00ということで、
充分余裕がありました。


旧御泉水屋敷という別名もあり、江戸時代には3代忠昌から福井藩主松平家の別邸でした。
現在のように整備されたのは7代藩主昌明の時でした。


書院造りの「御座の間」です。
明治維新後、福井城は政府所有となりましたが、御泉水屋敷は松平家の所有のままで、
事務所や迎賓館として利用され、明治17年に松平春嶽が「養浩館」と命名しました。


昭和20年に福井空襲を受け、焼失したものの昭和57年に国の名勝に指定されたのをきっかけに
福井市が復原することになり、文政6年の「御泉水指図」をもとに整備工事が行われ、平成5年に
復原が完成し、一般公開されています。


蒸し風呂のある「御湯殿」です。


こけら葺きの塀の屋根を間近に、湯殿の一段高くなった屋根などを見ながら退出しました。


次にすぐ西隣にある福井市立歴史博物館を訪れました。


館の前にはどなたかの銅像が座っていました。


それは最後の藩主松平春嶽の像でした。
徳川御三家の田安家に生まれ、11歳の時松平家の養子
となり、16代藩主となりました。
藩主となった天保14年(1843)ごろには財政事情が非常に
苦しく藩政改革を行いました。商人に協力を求める一方、
由利公正、橋本左内などを登用し、熊本から横井小楠を招
き、産業を興して富国強兵をはかりました。


坂本龍馬らの話も聞き、幕末の不安定な情勢の中で異国船
に対して海防の必要を感じ、西洋式の大砲を製造するなどの
国防策を取り入れました。
安政2年(1855)には藩校明道館を創設し人材を育成しました。


さらに、将軍継嗣問題で井伊と対立し安政の大獄で蟄居となりました。
井伊の死後、尊王、敬幕、開国の立場を守りながら国政の中心で重要な役割を担いました。
博物館では撮影禁止なので、松平家の宝物展示や民族的な紹介などありましたが、写真館としてはこれで終わりです。


お城にもどって来ました。
天正3年(1575)に柴田氏が築城しました。
その後慶長6年(1601)に結城氏が築城しました。
堀は5重になっていたそうです。


福井地震で石垣がだいぶ傷んでいます。


福井のもととなったと言われる「福の井」と呼ばれる城内の井戸です。


望楼型4重5階の天守が建っていた天守台です。
寛文9年(1669)に焼失しましたが、財政事情から再建はされませんでした。


天守台の隣の控天守台の石垣の一部は福井地震(1948)に
より無残に崩壊しています。


最近復原されたらしい廊下橋です。


現在、この城跡の上には福井県庁、県会議事堂、県警察本部
などがあり、公園としても整備されています。
しかし、これらの重量物が乗っているため地震で揺られ石垣が
壊れたのだという説もあるようです。

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