よいよい写真館番外編>彦根城

彦 根 城


 2008年8月16日(土)の朝8時に高知を出発。途中箕面の友人宅に立ち寄り、遅い昼食をいただいた。
再び高速道を走ったけど京都付近の渋滞に合い、彦根のホテルに到着したのは夕方でした。
 明くる8月17日(日)は朝から伊吹山に向けて出発。きれいな高山植物を見ながら頂上で昼食。
山を下り、彦根城にやってきたのはもうおやつ時でした。


堀を渡った城郭内に駐車場があるなんて信じられませんでした。内堀に面した大手前駐車場に
車を置き、左を見ると大手門方面。


右を見ると表門方面、すぐ右手には彦根東高校がありました。
大手門と表門、どちらが正式の門なのかわかりませんが、右手の方が賑やかそうでした。


内堀に沿って歩くと間もなくまた駐車場が見えて来ました。二の丸駐車場だそうです。
内堀に沿った外側になんで二の丸という名の駐車場があるのか不思議に思ったのですが、
「彦根城観光地図」をよく見ていると最初に渡ったのが外堀ではなく中堀と書かれています。
それで、今はないけれどまだ外側に外堀があったことが推定できます。


表門橋が見えて来ました。明治の写真などを参考に平成16年に復元したそうです。


表門橋のたもとには売店があり、その前のポストには彦根城の模型が乗っていました。


その向こうには大きい馬屋が残されていました。


L字型になっていて全部で21頭の馬を収容できたそうです。


内部の様子です。馬はモデル像です。


表門がここにあったのでしょうか。石垣が残っているだけです。
左手の建物は券売所です。右手の建物は博物館です。


券売所の脇から進むと表坂と名付けられた石段が続きます。


陸上の橋をくぐって振り返ると、建物の中に向かっています。


石垣を回って階段を上がると先ほどの橋の向こうに左右対称の建物があります。
天秤櫓というそうです。万が一、敵が城内まで攻め入って来たらこの橋を落とすそうです。


天秤櫓の中でなにやら展示があるようです。


「ひこにゃん」の図がたくさんありました。


鐘楼です。


本丸に出ました。青空の下、天守閣が座っています。


太鼓門櫓の中でもなにやら展示があったようですが、あまり時間がありません。


斜めから見た天守閣。どっしり構えていますね。
「規模は比較的小振りですが、屋根は「切り妻破風」「入母屋破風」「唐破風」を多様に配し
ており、2階と3階には「花頭窓」、3階には高欄付きの「廻り縁」を巡らせるなど外観に重き
を置き、変化に富んだ美しい姿を見せています。」(解説シートより)


「彦根城は三層白亜の天守をいただき、二重の濠に囲まれた城郭が400年前の姿を
とどめる天下の名城です。初代藩主井伊直政(1601)より第十四代藩主井伊直憲(1860)に
至るまでの260年間一度の国替えや城攻めもなく、いまなお彦根の象徴として三十五万石
の気高い雄姿を誇ります。」(彦根城観光地図より)


「天守の建物構造は,通し柱を用いないで,各階ごとに積み上げていく方式をとっており、
全体として櫓の上に高欄をつけた望楼を乗せる古い形式を残しています。」(解説シートより)


落ちないように注意を払わないといけない急な階段です。
とても有事に駆け上がったりすることを考えているとは思えません。
お姫様も着物を着てこの階段を上がったの?と聞く女の子のことを思い出すのですが、
とんでもないと答えたいです。


昭和32年から35年にかけて行われた解体修理により、墨書のある建築材が発見され、
天守の完成が慶長12年(1607)ごろであることが判明しました。また、建築材を克明に調査
した結果、もともと5階4重の旧天守を移築したものであることがわかりました。


3階部分です。窓には金網が張り巡らされ、高欄のある廻り縁には出ることができません。


窓からは市街が見えますが、見晴らしがよく開放感があるとは言えませんね。
「天守には歴代藩主の甲冑などが収納されていました。江戸時代の天守は、軍用建築と
いうよりも、城下から見上げる彦根藩の象徴という役割を担っていたようです。」(解説シートより)


天守を下りて西の丸を通過しました。ここには西の丸三重櫓が残されています。


時間がなくなってきましたので、急いで黒門に向かいました。

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