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彦根城博物館・埋木舎


2008年8月18日(月) 再び彦根城にやってきました。昨日は時間がなくて見てない博物館を見ます。


江戸時代には彦根藩の政庁であった表御殿を復元したものです。


展示室では、収蔵している井伊家に伝わる約6万5千点の美術工芸品や古文書の一部を公開しています。
なお、ここはストロボは禁止ですが、撮影はOKです。


資料保存のため照明を暗くしてあるので、感度400のフィルムを使っても1/8秒とかで、カメラを固定するのに一苦労でした。


この地図を見ながらどうやって鎖国を終わらせようと考えていたのでしょうか。


ゆるキャラ「ひこにゃん」のモデルになったと思われる大きな角のついた鎧甲です。


初代井伊直政所用の仏胴具足です。
彦根藩は「井伊の赤備え」として知られ、藩主をはじめ家臣すべてが朱塗りの具足を身につけたそうです。


12代藩主直亮は雅楽に興味を持ち、楽器の収集につとめました。その中の琵琶(望月)です。


江戸時代、茶道は武士の心得として重んじられ、井伊家でも歴代の藩主により数々の茶道具が
整えられました。中でも13代直弼は江戸時代後期を代表する大名茶人として有名です。


中庭のようなところに建っている能舞台です。


蛙股の井伊家の家紋「橘」に至るまで復元されています。
この能舞台は表御殿が取り壊された後も転々と移築され、昭和62年にもとあったこの場所に
戻されたとのことです。ほとんどの部材はもとのままで、修理交換の必要な部分のみ新しい材で
造られているそうです。最初は観世・金春・宝生・金剛・喜多の5座の能役者を召し抱えていた
ようですが、10代直幸が喜多流の宗家に入門したことから彦根藩では喜多流が浸透するように
なったそうです。


彦根城博物館は鉄筋コンクリートで復元された外観部分と木造で復元された御殿の奥向き
とがあります。ここは木造部分の茶室「天光室」です。ここで直弼はしばしば茶会を催しました。


御次之間から御座之御間を見通したところです。
藩主の居間です。


木造復元部分には、居間、寝室、納戸、茶室のような居住部分と親しい客や親戚を迎える
部分、さらにその奥に藩主のお世話をする女性の住む局がありました。


博物館を出て昨日見逃した井伊直弼の銅像を見に行きました。
玄宮園のすぐ近くでした。


この銅像は、最後の官職だった正四位上左近衛中将の正装姿だそうです。


NHKの初めての大河ドラマとして井伊直弼の生涯を描いた「花の生涯」が放送されたのは
昭和30年代だったらしい。記念碑が建てられていました。


サルスベリが美しい。でも花より団子で、この後昼食にキャッスルロードのレストランで近江
牛のステーキを食べ、満足でした。しかし、この町並みではタバコが買えないことが判明。
食後の一服を300mも歩いてローソンで買うはめになりました。


馬屋から城外方向に進み中濠を渡ります。佐和口多聞櫓が中濠に映って美しい姿を見せて
います。この前に埋木舎はありました。


埋木舎の門です。月曜日は普段は休館日だそうですが、この期間は開いていました。
ここでいただいたパンフレットには大きく、「「埋木舎」を見ずして井伊直弼は語れない」と
タイトル書きされていました。それほど井伊直弼とこの館は深いつながりがあったのでしょう。


玄関です。井戸や柳の大木もありました。「むっとしてもどれば庭に柳かな」
井伊直弼は、文化12年(1815)11代藩主井伊直中の14男として誕生、5歳で母を、17歳で
父を失ったので、藩の掟に従い300俵の捨扶持で彦根城佐和口御門前の公館で、32歳までの
15年間を暮らすことになりました。「世の中をよそに見つつも埋もれ木の埋もれておらむ心なき身は」
直弼は和歌を詠じて、この館を「埋木舎」と号しました。
(埋木舎パンフレットより)


大久保彦左衛門で有名な大久保家が現在の所有者だということです。


直弼の一生の親友、国学者・長野主膳と三晩、人生論を語り合ったのもこの埋木舎でした。


夕方には高知に帰り着きたいので、もう少し詳しく見たいと思いつつ、駐車場に向かいました。

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