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談山神社と長谷寺


2000年5月4日 奈良県の親戚を訪問したので、近くの談山神社と長谷寺を案内していただきました。

 
 西暦645年の5月、中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣鎌子
(後の藤原鎌足公)と二人が多武峰(とうのみね)の山中に登り、
「大化改新」の談合を行いました。


後にこの山を「談い山」「談所ヶ森」と呼び、談山神社の社号の起こりとなりました。

 
天智天皇8年(669)10月、鎌足公の病が重いことを知った
天智天皇は、みずから病床を見舞い、大織冠を授けて内大臣
に任じ、藤原の姓を賜りました。藤原の姓はここに始まります。
鎌足公の没後、長男の定慧和尚は、留学中の唐より帰国、
父の由縁深い多武峰に墓を移し、十三重塔を建立しました。


大宝元年(701)には神殿が創建され、御神像をお祭りして今日に至ります。

 
 ゴールデンウィークだったのでたくさんの人が参拝にきていました。


吊り灯籠、廊下と手摺り、金具のついた開き戸、
いずれも歴史を感じさせます。


 
 同じ日、豊山( ぶさん )長谷寺( はせでら )の方もすごい人出でした。真言宗豊山派の総本山、
また西国三十三観音霊場第八番札所、 全国に末寺三千余ヶ寺、 檀信徒はおよそ三百万人
といわれます。


長谷寺は牡丹寺として知られています。また、他にも桜、
アジサイなど四季の花が植えられています。

  
大きい屋根を支える重厚で複雑な木組みと、
可憐な赤い牡丹の花の組み合わせは不思議な
感じでした。


長い回廊とその両翼に散在する坊があり、牡丹もあちこちに植えられています。朱鳥元年(686)
道明上人が天武天皇のために銅板法華説相図( 千仏多法仏塔 )を西の岡に安置し、神亀四年
( 727 )徳道上人が聖武天皇の勅を奉じて、衆生のために東の岡に十一面観世音菩薩をまつったそうです。

 
 本堂は山の斜面に建てられていますから、
清水寺と同じようにたいへん高い部分があり
ます。


歩き疲れて牡丹の花の側で休憩する参拝客たち。
ゆっくり見て回ると一日ここで過ごせそうです。

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