2005年10月26日夜から初めての鹿児島の旅に出掛けました。
マイカーを運転しての鹿児島への旅です。最初の日は肩と背中がこって痛かったのですが2日目には治り、久しぶりに長距離ドライブを楽しむことができました。フェリーでの距離は不明ですが、マイカーの走行距離計は往復で1,100kmを超えていました。
参考までに調べましたが高知龍馬空港から飛行機で行くと4時間、高知駅からの列車では14時間かかるようです。
<往路>
3時間の休憩時間をとることができるということで、23:30発の「宿毛フェリー」を利用することにしたので、その時刻に合わせ余裕をみて高知を20:00に出発し、佐伯には2:30に到着しました。
佐伯から県道を走り、津久見インターから鹿児島インターまで高速道路(411km)を走りました。最近ETCを装着しましたがその効果あり、深夜割引料金が適用されて通常は8,450円のところを5,900円で走ることができたようです。ハイウェイナビで確認すると正味5時間余りかかることになっていますが、休憩をとり、また某SAで仮眠もしたので7時間余りかかってしまいました。
朝霧の某サービスエリアにて
<復路>
宮崎県にほど近い最後の宿を出たのが8:30過ぎでしたから11:00発の「宿毛フェリー」には到底間に合わないし、次の20:00発では遅いので、臼杵まで走り、「九四オレンジライン」フェリーで八幡浜に渡ることにしました。
宿から一番近いICが宮崎自動車道の高原(たかはる)ICでした。終点の宮崎ICで降りて海岸沿いのヤシ並木のある有料道路を快適に走りました。
快適な「一ツ葉有料道路」
あとは国道10号線を延々と走り、でも日曜日で渋滞らしきものはなく、思ったより早く臼杵に到着し15:30発のフェリーに乗船しました。
九四オレンジラインフェリー
八幡浜から檮原、葉山を経由して、須崎で夕食をとり高知に帰り着いたのは21:00頃となっていました。
<さあ鹿児島です>
27日午後は県立文化センターでの仕事があったので行くとセンター前の広場には小松帯刀が、そしてその向こうの道路を隔てて軍服姿の西郷隆盛が立っていました。仕事にこの場所に来て早くも二人の銅像に会ってしまって、ああ、鹿児島に来たんだと少し感激して立ち止まってしまいました。
小松帯刀は島津久光公にとりたてられ、若くして薩摩藩の側近から家老となりました。坂本龍馬とも京都で知り合い親友となり、龍馬の結婚にも立ち会っているようです。薩土同盟や薩長同盟に貢献し、明治維新後も政府に参与、外交官副知事となっていますが、1870年に36歳の若さで病死しました。西郷隆盛については皆さんよく知っているし、ひとことでは言えないので、ここ(ウィキペディア)を参照してください。
この日は夕方まで仕事をして、夜は天文館通りに出掛け食事をしました。タイ風のラーメンとギョーザだけのメニューしかない店で、生ビールとおいしいギョーザをたっぷりいただきました。宿泊は照国神社直近のホテル「アルファ館」でした。
天文館通り
28日は朝から鹿児島中央駅の案内所に歩いて行き、電動付き自転車を借りて鹿児島市内探検を開始しました。これは「敬天愛人」という西郷隆盛についてのウェブサイトを参考にしました。もちろん、そのなかの「鹿児島史跡旅行案内」に書いてある「よかガイドかごしま」を駅の案内書で手に入れました。
昨日はいい天気だったのに今朝は天気があやしくなっていました。
若き薩摩の群像
まずは中央駅前で「若き薩摩の群像」を発見。これは自分の予定にはなかったのですが、なかなか立派なもので、拾いものをした感じでラッキーでした。鎖国時代に藩命により国禁を犯して海外渡航をした19名です。初代文部大臣となった森有礼もいます。引率者として五代友厚の名も見えます。
次は「維新ふるさと館」にやってきました。館前の甲突川にかかる「南州橋」です。
ここでは西郷隆盛に関する資料や遺品の展示や、西郷、大久保、勝、坂本の人形ロボットによる語りでドラマが進みます。
しかし、小学生がわんさか来ていて、とても落ち着いて見ていられない状態で、館内撮影禁止だし、早々に退散しました。
ふるさと館から少し移動して「西郷隆盛誕生地の碑」に来ました。
ここで文政10(1828)年12月に西郷隆盛が生まれました。
照国神社に向かって移動中に発見した「大山巌誕生の地」の碑です。これも自分の予定にはありませんでしたので後で調べました。
天保13年(1842)この地で誕生し、薩摩藩士から維新後は明治政府の政治家、軍人として名をはせたそうです。
また、彼は西郷隆盛の従弟であり、西南戦争までは従兄の後押しが加わり出世した。1916年、75歳で死去。
何かを発見したらすぐに止まって観察することができる、やはり自転車はいいですねえ。
照国神社
照国神社の入り口です。道路の両端の車線はバスやトラックが駐車し占領しています。
乗用車は鳥居の内側に駐車場がありました。その横に自転車を置いて見学です。
照国神社は別のページを作りましたのでご覧ください。
再び西郷さんに会う
照国神社から東進すると鶴丸城跡に来ました。この通りは広い歩道があり、歩行者も自転車も安心です。
ここの石垣は小さい石を長方形に切って几帳面にきっちりと積んであります。
「鶴丸城跡」をなおも東進すると、野に下った西郷隆盛がはじめた、西南戦争に至る原因となった「私学校跡」です。
無数の弾痕があいていて、痛々しい石垣でした。
さらに東進、山手に回り込むと「薩摩義士の碑」がありました。
幕府が薩摩藩に命じた木曽川の治水工事で出た多くの犠牲者を祀ってありました。
次は西郷隆盛等が西南戦争で形勢不利となった後、隠れた洞窟に向かいました。
その途中、鉄道の陸橋から偶然見下ろしたところ、「敬天愛人」の文字がトンネル入り口に見えました。
木立の下の崖に二つの穴がぽっかり開いていました。
あの西郷さんが城を出てこんなところに隠れなければならなかったとはと、彼の惨めな気持ちを思いました。
「南州翁終焉之地」の碑です。
洞窟から出た西郷隆盛は数百メートル東進した場所で腰や大腿部に銃弾を受け、もうこれまでと一緒にいた別府晋介に介錯を頼みました。
西郷隆盛墓所
一旦大通りまでもどり、再び東進、数百メートル先を山手に向かって入ります。
上り坂の中腹に「南州墓地」の看板が見えました。別ページにまとめています
鹿児島市は路面電車が走っていて、高知の土佐電鉄と同じように車体には広告が描かれていました。
もう昼の時刻はとうに過ぎていましたが昼食を食べるため市街の中心部にもどりました。
みなと大通り公園でしょうか、とても広くて気持ちのいい空間でした。
この通りを海の方に進み最後の角にあるホテル「福丸」の前で雨が降り出し、どうしようかと思っているとここの支配人さん?がちょうど車に乗って出掛けるところでしたが、わざわざ車から降りて来られました。そして、2階にレストランがあるから、そこで食べるといいと声をかけ、自転車が雨に濡れないように屋根の下に案内していただきました。鹿児島の男性は威張っているのかと思っていましたが、親切でいい感じでした。ここの昼食は価格の割に選べるサラダというバイキングの要素もあって、心配りも嬉しくとてもおいしくいただきました。
五代友厚像
雨が降り出してもいいように黎明館を後回しにしていましたから、これから向かいます。
その途中で「五代友厚像」を見ました。
「士魂商才」と題された説明板には概略次のように書かれていました。天保6年(1835)に生まれ、少年時代から海外に興味を持ち、長崎に留学後、藩命で海外留学を引率し、同時にイギリスで紡績機械や蒸気船を購入することに奔走しました。また維新後は実業界に転身し、商都大阪で株式取引所を開設しました。
やはり雨がポロポロ降っています。カメラが濡れないようにビニール袋をかぶせます。
鶴丸城跡石垣
鹿児島県歴史資料センター「黎明館」は鶴丸城の本丸跡に建設されました。橋を渡るとすぐの石垣にも砲弾の跡が見られます。
「黎明館」の内部では撮影禁止なので、公式HPを紹介しておきます。「黎明館」のHPはここ
「黎明館」では原始時代からの鹿児島のくらしについて品物や資料で詳しく説明しています。
ガイドさんに質問したら飛んでやってきた学芸員さんも親切でとてもいい感じでした。
ポロポロ降っていた雨が本降りになり、自転車を返す時刻が近づいて出るに出られずやきもきしていましたが、思い切って外に出ると小降りになり、自転車小屋にたどりつくと雨は止んでしまいました。神のご加護か、ラッキーでした。おかげで遅刻せずに中央駅までたどりつき、無事に自転車を返すことができました。
また、ホテルの駐車場に置いてもらっていたマイカーが気になっていて、あわてて番号だけを見て乗った中央駅からのバスが、しばらく走ったあとホテルとは全く反対の方向に走っていることに気がつき、逆方向のバスに乗り直してホテルまで帰ってきました。おかげでホテルの駐車場を出るのが予定より遅くなりご迷惑をおかけしました。ホテル「アルファ館」さん、安価な宿泊料金なのに遠来の客ということで駐車料金もサービスしていただいたので助かりました。ありがとうございました。
「アルファ館」は照国神社のすぐ隣で、このあたりの史跡探訪には大変具合がいいのですが、次の日は満室でした。そこで次は桜島の見える海の側の「鹿児島サンロイヤルホテル」を予約していました。夕暮れとなり灯りのともる町をあとに一路与次郎町方面へとマイカーを進めました。
夜明けの桜島
10月29日
ホテル12階からの桜島です。この景色を見たくてこのホテルを選びました。お天気の加減で少し霞んでいましたが、堂々たる桜島を早朝から見ることができました。
日の出を拝んでから、朝食を買いに行くついでに坂本龍馬とお龍の新婚旅行の像を見てきました。
坂本龍馬とお龍の新婚旅行の像
小さな像でしたが、ふたりの熱々のようすが感じられました。
これに似た像が塩浸温泉にあるということは知っていましたが、ここにある事はホテルで地図を見てから知りましたし、像を見るまでは信じられませんでした。
天保山砲台跡
さらにコンビニの前に道路を挟んで海側に砲台跡がありました。頻繁に黒船がやってくるようになり各地に作られた砲台でしたが、黒船は九州には特に多くきたことでしょう。
ザビエル上陸記念碑
コンビニで買った朝食を港で食べた後出発しました。今日は昨日残していた島津家墓所等をまわり最終目的地は知覧で、遠距離なのでマイカーで移動です。。
最初の目的地は祇園之洲です。そこで1549年にやって来た「ザビエル上陸記念碑」を見ました。ザビエルの布教活動については山口に行ったおりに資料館を見学し、概要は知っていましたし、また布教はキリスト教の信仰を広めるだけではないということも知っていました。
我は海の子歌碑
すぐ近くに文部省唱歌「我は海の子」の碑を発見しました。作曲者の宮原晃一郎が子どもの時この海岸でよく遊んだということから、彼の業績を称えるためこの場所に記念碑を建立したそうです。
尚古集成館
次の目的地は磯庭園及び尚古集成館です。
磯庭園は入園して回ると40分ほどかかるというので見学を中止し、その隣にある「尚古集成館」を見学しました。
島津斉彬公の作った富国興業のための機械工場だったようです。そのほかに反射炉もあったようです。土佐でも規模は小さいですが同時期に開成館という施設が作られていました。
また、ガラス切り子の細工を行っている工場も隣にあり、工場見学ができました。
福昌寺跡
次の目的地は島津家の墓地でしたが、反対側に回り込んでしまい道が狭い上に隣の高校が大規模な工事中で、本当にここなのかと戸惑いました。
別ページにまとめましたのでご覧ください。
峠にて
最後に指宿スカイラインを通って知覧町に行き「特攻平和会館」を見学しました。これも別ページにまとめました。
龍馬とお龍の新婚旅行ポスト
知覧での見学が終わり、できれば塩浸温泉の龍馬像を見ようと思いながら霧島温泉に向かってマイカーを走らせました。しかし、どうも通り過ぎたようだと感じながら、また、道を間違えたのではないかと心配になってきましたので集落のある分かれ道で車を止め地図を見ることにしました。
そこで偶然発見しました。牧園郵便局前のポストが「龍馬とお龍の新婚旅行ポスト」だそうです。お龍さんが釣り竿を持ち、龍馬はピストルをかざしているというユーモラスなミニ像です。残念ながら塩浸温泉はとうに通り過ぎていました。
最後の夜をどこで泊まるか予約をしていませんでした。霧島温泉郷にはたくさん宿があるからどこかで泊まれるだろうと思っていました。しかし、行ってみると大違い。土曜日の夜でもあり温泉宿は満室ばかり。
しかたなく、宮崎方面にマイカーを走らせ、霧島神宮を過ぎてぎりぎり霧島町ですが、もうすぐ宮崎県というところで灯りのついている1軒のレストランを見つけました。入り口に立っている旗には宿泊もできると書いてあり、入ってみることにしました。
そこは「逢鈴樹」(オーベルジュ)という宿で、フランス料理のフルコースを夕食にしているのが特徴です。もう閉店にしようとしていたようですが、気の毒に思ってくれたのか宿泊OKで、もう21:00近くに入ったのですが、温泉に入っている間にきちんと準備していただけてフルコースを食べることができました。とても親切にしていただき、ありがたいことでした。
和室でゆっくりと寝ることができ、今回初めて安眠できたような気がしました。温泉とフルコースと和室という面白いとりあわせでした。
明くる日はもう帰るのみです。
高千穂峰
10月30日
宿のご夫婦に見送られて気持ちよく出発しました。しばらく走ると高原の道路脇に展望所があり、そこから高千穂の峰(1574m)がよく見えました。
龍馬とお龍が登り、天ノ逆鉾を引き抜いてみたといわれる山です。
雄大な九州とも今日でお別れです。楽しくて勉強になる旅でした。